■S:今日の聖書の言葉
レビ記17章11節

★「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。」

使徒の働き17章3節b

★(パウロは)「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。

■O:今日のコラム
私たち、人間は弱く、何かが足りなければ、はかなく命を落とします。
人は肉体のいのちについては、気を配るけれど、多くの場合、霊的ないのち、霊的健康状態には無関心であり無防備なことが多いのではないでしょうか。

私たちは、部屋の空気が悪くなって頭痛でもしてこようものなら、換気などをして何とか新鮮な空気を取り入れようと努力します。究極的に、もし酸素が足りず呼吸ができなくなったら、人は死にます。では、霊的な呼吸には関心があるでしょうか。
主は、アダムを創られた時、神の息を吹きこまれました。聖霊様のお名前はヘブライ語では「聖なる息、聖なる風」です。私たちが息が出来ないと死ぬように、聖霊の息吹を受けなければ霊的呼吸ができない状態に陥るのです。

また、お腹が空いてくるとどんなに忙しくても、食べ物のことが頭から離れません。何日も何も食べなければ、いずれ餓死します。霊的な空腹についてはどうでしょうか。私たちは霊的パンであるみことばを食べ、みことばに聞き入り、その中から栄養を摂ることがなければ霊的に餓死するでしょう。

今日の箇所で「いのちは血の中にある」とあります。血液が心臓から身体中にいのちを送り出し、血液がいのちを体に巡らせます。ですから怪我などで大量に血液を失うなら、人は命を落とします。
同じように、私たちが、イエス・キリストの血潮を受け取ることがなければ、霊的にいのちが巡ることはないでしょう。イエス様は「わたしはいのちです。」とヨハネの福音書の中でも、何度も語っておられます(ヨハネ11:25、14:6)。その「いのち」はイエス・キリストの流された血潮の中にあるのです。

イエス・キリストの血潮の力を受けとらないならば、私たちは霊的に常に貧血の状態で、時に霊的に元気で、信仰深く勢いがあっても、霊的貧血がやってくるととたんに倒れてしまうでしょう。
霊的いのちこそ、永遠につながる重要なことであり、私たちは肉体と同様に、またはそれ以上に心を配らなければならないものであるにもかかわらず、目に見えてる事柄に思いが奪われ、霊的健康が乏しく、魂が衰弱していても気付かないことがあるのです。

使徒の17章で「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」とパウロは言いました。ここの箇所、ヘブライ語新約聖書では「このイエスこそ、メシヤなのです。」と書かれています。メシヤ、救い主。イエス・キリストこそが、すべての面において、私たち全人生の歩みにおいて救い主であるにもかかわらず、私たちはイエス様を人生の部分的な救い主としてしまうことがあります。
日曜日は「イエス様は私の救い主、永遠の命を与えてくださったお方。」と信頼していても、残りの平日、何か困難にぶつかった時、何か戦いが起きた時、何かトラブルがある時、自分の知恵や力で何とかしようとしたり、それでもうまくいかないと、別の場所に解決を探しに出掛けるのです。私たちはあらゆる場合に、「主にこそ解決があり、主こそが救い主である」と信頼して、主を見上げる必要があります。

ダビデは詩篇で言っています。「私の目はいつも主に向かう。主が私の足を網から引き出してくださるから。」(詩篇25:15)
足に網が絡まり、抜け出せないような苦難の状態の中で、彼は足に絡まる網をほどこうと網ばかりを見つめることはせず、その目は「いつも主に向か」っていたのです。「いつも」です。何故なら、ダビデは主を自分の全人生の救い主としていたからです。

私たちのいのちである、イエス様。この方無しでは、一歩も前に進めないという渇望。この方こそがメシヤである、という絶対的信頼をもって、今日も主を見上げましょう。答えも解決も喜びもいのちも主のもとにしかありません。
そして、私たちの霊的歩みを確かなものとし、霊的ないのちを豊かなものとしてくださるイエス・キリストの血潮の力を今日も宣言して行きましょう。

■A:考えてみよう
自分の霊的健康状態はどうだろうか?霊的酸素不足、霊的空腹、霊的貧血になっていないだろうか。
今ある問題、悩みの解決を自分はどこに探しているだろうか。自分の力だろうか。主イエスの血の力だろうか。

■P:祈り
聖霊様、あなたを始終忘れてしまう私を許して下さい。あなたとの交わりなしには、私の霊は息絶えてしまうから、あなたとの時間を大切にします。私は今日もあなたの息吹を、いのちの息を豊かに受け取ります!あなたを私の今日の一日の中に歓迎します。また、私の霊的糧であるみことばに聞き入り、みことばに自分の魂を従わせます。私のいのちを贖い、私の内なる人を確かに建て上げてくださるイエス・キリストの血潮の力を今日も私の上に宣言します。
私もダビデのように告白します。「私の目はいつも主に向かう。主が私の足を網から引き出してくださるから。」

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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