■S:今日の聖書の言葉
レビ記13章2節(使徒13章)

★ある人のからだの皮膚にはれもの、あるいはかさぶた、あるいは光る斑点ができ、からだの皮膚でらい病の患部のようになったときは、その人を、祭司アロンか、祭司である彼の子らのひとりのところに連れて来る。

■O:今日のコラム
ツァラト(皮膚の病)に冒されている疑いのある人は、最初に祭司アロンか、祭司である彼の子らのひとりに自分自身を見せなければなりません。そのような人を調べる時、祭司は2つのことに注意しなければなりませんでした。

それは、(1)神の聖さ、(2)神の恵みについてです。神の聖さは、人がその聖さに該当しなければ、外に出るよう求められます。神の恵みは、中に入るべき人は誰でも中に入ることができるよう道を開きます。それなので祭司は、うわさや主観的な先入観ですぐに診断することは出来ません。彼らは、ツァラトの疑いのある人を徹底的に調べ、聖書に従って必要事項をくまなく実行しなければなりませんでした。

ツァラトは、皮膚の小さな患部から始まります。しかし、もし処置されずそのまま放置されるなら、すぐに皮膚の奥深くに達し、からだ全体に広がります。聖書のツァラトは、罪の象徴です。罪は、いつもすごく小さなことか始まります。それは、見た目には害ない、当たり障りのない行動かもしれません。しかし、吟味せずにいると、それはすぐに私たちの生活全体に広がります。

ツァラトは、時々かさぶたとして現れます。それは、まるで完治したかのように見えますが、実はかさぶたの下ではまだ活動しているのです。同様に、完全に処理されていない罪は、繰り返し表に現れます。

ツァラトは、火傷したからだの部分に発生することもあります。人生の中で、家族や友人のような外部の力によって傷つけられ、焼けどを負うことがあります。もし私たちがその傷を処理しないなら、苦味と怒りがその傷から突然現れることでしょう。ついに、それは私たちの心全体に広がってしまうのです。

私たちの生活の中の多くのことが、それ自体、道徳に反していないかもしれません。しかし、それらが神様のみこころでないゆえに、神の祝福の覆いの中に入り損ねてしまう場合があります。そしてやがては、罪が表面に現れてきます。

良い知らせがあります。主イエスは、私たちの大祭司なるお方です。主イエスは、私たちの生活におけるすべての「霊的ツァラト」を聖めるために来られました。もし、私たちが砕かれた悔いた心で罪を悔い改めるなら、主イエスの血潮は私たちを赦し、すべての不義から完全に聖めて下さいます。

■A:考えてみよう
13~14節を2回朗読し、「私の頭から足まで、主イエスの血潮で覆い、まっ白にきよめて下さい。」と祈りましょう。大祭司なるお方に私たちの内なる人を調べていただき、示される罪があればそれを放っておかず、その罪に対して主イエスの血潮を宣言しましょう。神の恵みの中に入り、神の聖さを受け取りましょう。

「もし吹き出物がひどく皮膚に出て来て、その吹き出物が、その患者の皮膚全体、すなわち祭司の目に留まるかぎり、頭から足までをおおっているときは、祭司が調べる。もし吹き出物が彼のからだ全体をおおっているなら、祭司はその患者をきよいと宣言する。すべてが白く変わったので、彼はきよい。」(レビ記13:12~13)

■P:祈り
私の心にイエス様の血潮を宣言します。私が罪を犯したらすぐ痛むような、繊細な心として下さい。イエスキリストの御名によってお祈りします。

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139:23~24)

【 ひさえ 】

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