■S:今日の聖書の言葉
レビ記14章2〜8節(使徒の働き14章)
★「ツァラアトに冒された者がきよめられるときのおしえは次のとおりでなければならない。彼を祭司のところに連れて来る。
祭司は宿営の外に出て行き、調べて、もしツァラアトの者のツァラアトの患部がいやされているなら、
祭司はそのきよめられる者のために、二羽の生きているきよい小鳥と、杉の木と緋色の撚り糸とヒソプを取り寄せるよう命じる。
祭司は、土の器に入れた湧き水の上で、その小鳥のうちの一羽をほふるよう命じる。
生きている小鳥を、杉の木と緋色の撚り糸とヒソプといっしょに取り、湧き水の上でほふった小鳥の血の中に、その生きている小鳥といっしょにそれらを浸す。
それを、ツァラアトからきよめられる者の上に七たび振りかけて、彼をきよいと宣言し、さらにその生きている小鳥を野に放す。
きよめられる者は、自分の衣服を洗い、その毛をみなそり落とし、水を浴びる。その者はきよい。そうして後、彼は宿営に入ることができる。しかし七日間は、自分の天幕の外にとどまる。
七日目になって、彼はすべての毛、その髪の毛と口ひげとまゆ毛をそり落とす。そのすべての毛をそり落とし、自分の衣服を洗い、水をそのからだに浴びる。その者はきよい。
■O:今日のコラム
ツァラアトからきよめられる事は、罪からきよめられる事を意味します。イエス様の血潮は私たちのすべての罪をきよめます。そしてきよい者として歩みだす事は、栄光によみがえる事です。ここには死と葬りと復活が示されています。
きよめに使う杉の木は、真っ直ぐに育った、神の庭に植えられた木であり、神殿の材料です。これは栄光によみがえった、栄光の状態を示しています。また、緋色の撚り糸もモーセの幕屋の材料です。ともに神の家の材料ですが、緋色の撚り糸は、ヘブル語で「赤いうじ」という言葉が使われています。撚り糸が「うじ」っぽいのでしょうか?うじは死体に湧くものです。つまり葬りの状態です。ヒソプは、血潮を塗るために用いられた物で悔い改め、つまり、自分に死ぬ事を示しています。ここに死と葬りと復活が神の家の材料となるために必要である事が示されています。
2羽のきよい鳥のいけにえは鳩を指し、御霊を表しています。一匹は身代わりの死を表して、一匹はよみがりのいのちを表して羽ばたいて行きます。
その後にも衣服を洗う事は、黙示録を見ると血潮によってであり、これによって私たちは勝利者になる事ができるのです。
『そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。』(黙示録7:14)
悔い改めて血潮を宣言する事は私たちを生まれ変わらせ、勝利から勝利へ、栄光から栄光へと作り変えて行きます。身体の毛を剃る事はなぜでしょうか?それはエサウからヤコブになる事なのです。エサウは毛深かったのです、エサウは、野の(獣のような)人で、巧みな猟師(バベルの塔を作ったニムロデは、力ある猟師)であり、新約では俗悪な者と称されています。一方、ヤコブは穏やかな(ヘブル語では「完全な」)人、つまり全き者であったのです。そして幕屋にとどまっていました。そして肌は滑らか(毛がない)だったのです。
きよめられる者も、幕屋にとどまってそれから「きよい」と呼ばれるのです。ここは神の家、祈りの家が啓示されていると言えます。
■A:考えてみよう
ダビデのように、神の家の安息の家を設けたいと思うでしょうか?ならば死と葬りと復活が大切です。悔い改め、血潮を宣言し、新しい創造を受けとりましょう!きよい者となりましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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