■S:今日の聖書の言葉
レビ記10章1-2節(使徒の働き10章)

★さて、 アロンの子ナダブとアビフは、 おのおの自分の火皿を取り、 その中に火を入れ、 その上に香を盛り、 主が彼らに命じなかった異なった火を【主】の前にささげた。
すると、 【主】の前から火が出て、 彼らを焼き尽くし、 彼らは【主】の前で死んだ。

■O:今日のコラム
今日のみことばはとても衝撃的なみことばです。最初の大祭司であるアロンの子どもたちであるナダブとアビフが礼拝をした時に神に打たれてしまいました。その決定的な原因は、「主が彼らに命じなかった異なった火」を捧げたことによります。
モーセの幕屋では、全ての器具に重要な意味があります。今日はその全てを説明できませんが、香の壇は祈りを意味します。

「また、 もうひとりの御使いが出て来て、 金の香炉を持って祭壇のところに立った。 彼にたくさんの香が与えられた。 すべての聖徒の祈りとともに、 御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。 香の煙は、 聖徒たちの祈りとともに、 御使いの手から神の御前に立ち上った。」(黙示録8:3-4)

モーセの祭壇は主に3つのパートに分かれています。至聖所、聖所、大庭です。この全ての箇所に共通するのは火です。至聖所には香の壇、聖所では燭台、大庭では全焼のいけにえの祭壇で火が用いられます。その火の火力は大庭から聖所に向かってだんだん小さくなってきているのも興味深いことです。
香の壇は本来至聖所に属するものですが、聖所に置かれます。この香と血を携え、大祭司は至聖所に入ることが出来ます。

香をたくときには、火皿に香を盛るだけでは不十分です。そこに火が灯さなければなりません。火は神のあらわれ、また聖霊様を象徴します。祭司は自分の火皿に香を盛って、そこに神が命じる火を灯さなければなりませんでした。それに従順出来なかったのがナダブとアビフです。

考えてみると、このナダブとアビフはアロンの子どもです。子であれば親の性質を受け継いでいます。そうです。アロンは一度失敗をしています。モーセが山に登り神の戒めを受け取っている最中に民を導き、金の子牛を作ってしまった事件です。それはある意味神に対する背きの罪、不従順ということができると思います。
私たちに及ぶのは3,4代の先祖から来る分厚い雲のような咎です。その法則をアロンの子であるナダブとアビフからも学ぶことが出来ます。

同じように、二人の者が不従順によって打たれた事件は新約聖書時代でも繰り返されています。

「ところが、 アナニヤという人は、 妻のサッピラとともにその持ち物を売り、 妻も承知のうえで、 その代金の一部を残しておき、 ある部分を持って来て、 使徒たちの足もとに置いた。 そこで、 ペテロがこう言った。 「アナニヤ。 どうしてあなたはサタンに心を奪われ、 聖霊を欺いて、 地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。 それはもともとあなたのものであり、 売ってからもあなたの自由になったのではないか。 なぜこのようなことをたくらんだのか。 あなたは人を欺いたのではなく、 神を欺いたのだ。 」 アナニヤはこのことばを聞くと、 倒れて息が絶えた。 そして、 これを聞いたすべての人に、 非常な恐れが生じた。」(使徒5:1-5)

ここに「聖霊を欺いて」と書かれています。これは本当に重要な事です。

「神の聖霊を悲しませてはいけません。 あなたがたは、 贖いの日のために、 聖霊によって証印を押されているのです。」(エペソ4:30)

神に従順するなら、ささげるいけにえは主の火によって焼かれます。

「 【主】の前から火が出て来て、 祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、 民はみな、 これを見て、 叫び、 ひれ伏した。」(レビ9:24)

しかし、従順しないで捧げるなら、同じ火によって捧げる者たちが打たれます。

ここで忘れてはならないのは、主の計画は私たちを滅ぼすことではないということです。主はすべてのものが救われ、神に立ち返ることを願っておられます。では、主は私たちの何を打とうとされるのでしょうか。
それは罪の性質です。神の怒りは私たち自身に下るのではなく、私たちがもっている古い肉の性質に対して下るのです。ですから、私たちは恐れることはありません。恐れは神からのものではないからです。

終わりの時代に起こることはこのようなことです。

「不正を行う者はますます不正を行い、 汚れた者はますます汚れを行いなさい。 正しい者はいよいよ正しいことを行い、 聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。 」(黙示録22:11)

共に王である祭司として、きよさを追い求めていきましょう。

■A:考えてみよう
私は異なった火によって礼拝を捧げていないだろうか。イエス様を純粋に愛するという動機以外で礼拝を捧げていないだろうか。人々に注目されたり、自分の賜物を誇ったりするために礼拝を捧げていないだろうか。
もし異なった火によって礼拝を捧げるなら、私たちのそのような性質に対して神の火が下ります。それは私たちを災いに導くものではなく、より神に近づくようにさせるためです。
そのためにも毎日、できたら朝、昼、夜にみことばに立ち返る機会を持ちましょう。
(マタイ15:19)、(ガラテヤ5:19-21)、(ローマ1:28-32)、(2テモテ3:1-7)のみことばを持って悔い改めましょう。
そしてその後は必ずイエス様の血潮によって祈りましょう。新宿シャローム教会で配布されている血潮の12の宣言のみことばと宣言文を宣言しましょう。
全部で10分もかからないこれらの事を行い、一人ひとりが遣わされている場所で御国を解き放つ王である祭司とされることを祈り願います。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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