■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記40章33~35節(出エジプト記39章)
★『また、幕屋と祭壇の回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛けた。こうして、モーセはその仕事を終えた。
そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。』
■O:今日のコラム
シャカイナ・グローリーというと、ソロモン神殿完成時が有名ですが、元祖はこちらです。モーセの幕屋の完成時にもシャカイナ・グローリーが起きました。
幕屋とは、ヘブル語で『臨在が住まう(ここでは『とどまる』と訳されている)場所』という意味なのです。幕屋の本来の目的が達成された訳です。
現代において主の臨在の住まわれる場所はどこなのでしょう?それは、神の家である教会と私たち自身です。ペテロは自分の体の事を『幕屋』と呼んでいます。
私たちにも住む家があります。居心地の良い家はノビノビと住むことができます。それは主にとっても同じことです。主はご自身の憩いの家を探しておられます。
『主はこう仰せられる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。わたしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。』(イザヤ66:1)
この40章全体を見てみるとモーセの幕屋は、内側から外側に向かって建て上げられていっていることが分かります。私たちは外側から整えたがります。しかし主は内側から建て上げていきたいのです。
これは自分自身のチャレンジでもありますが、内側から湧き出る、御霊によって私たちに注がれている愛を行動のモチベーションにする事です。特に男性は頭で考える理論を行動のモチベーションにしやすいです。確かに論理的で無駄が無いでしょう。しかし、自分の頭で考える論理が生き方を主導するなら、人生は無味乾燥でいのちの無いものになってしまうでしょう。
私たちの心を御霊が導いてくださる事を信じておられるでしょうか?心の奥底に宮を設けておられる御霊は、私たちの心を導いて、神の愛によって生きることを教えてくれます。
『どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。』(Ⅱテサロニケ3:5)
イスラエルの民は祭司アロンの裁きの胸当てに入っていた『ウリム』と『トンミム』によって民の方向性を決定していました。
新約の時代では、みなが祭司であり、この胸には義の胸当てが置かれています。(エペソ6章)そしてこの義の胸当てには、2つのものが備えられています。それは、愛と信仰です。
『 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。』(Ⅰテサロニケ5:8)
愛によって働く信仰だけが大切なのです、と言ったパウロの言葉は真実です。この心を愛によって働く信仰によって導いていただいて、考え方はそれを支えるのです。体はそれを行うのです。
これはつまり第一の戒めなのです。心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ、です。この順番は重要なのです。
■A:考えてみよう
愛によって働く信仰によって行動する。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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