■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記33章12〜14節

★さて、モーセは主に申し上げた。「ご覧ください。あなたは私に、『この民を連れて上れ。』と仰せになります。しかし、だれを私といっしょに遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身で、『わたしは、あなたを名ざして選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている。』と仰せになりました。今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてください。」すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」

■O:今日のコラム
「とりなし」とは神と人との間に立って、主の心とあわれみが人々に及ぶのを祈る事であり、正にこの出エジプト記の箇所において、偶像を造り、主に背いたイスラエルに対しモーセが祈った祈りが、とりなしの重要な姿だと言えます。

その「とりなし」の内容は、「裁きを免れたい。」と言うのでも「祝福するのを止めないで欲しい。」と言うのでも無く。「主の心にかなった道を歩みたい。」そして「主ご自身がイスラエルと共にいて、イスラエルの民に心を留めて下さい。」と言う、主が与えて下さるものでは無く、主ご自身を求める祈りです。

私達の多くの祈りと願いは、主が何かをして下さる事を求めるものです。荒野をさまよったイスラエルの民も絶えず、自分達の必要を求めて叫び、願いが満たされる事を追い求め、数多くの主の助けと御業を体験したにもかかわらず、主を愛し、主に忠実になると言う事はせず、本来ヤハウェなる主が用意されていたカナンの地を相続する約束の実現を見る事の無いまま、荒野で人生が終わりました。

もちろん私達は、主のしるし、満たし、超自然的な御業を大胆に求める事が重要です。それと同時に、主の道に従うのを求める事も決しておろそかにしてはなりません。詩篇にはこの様に記されています。

「主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。」(詩篇103:7)

私達が主の心、主の道に従い生きる為に、出エジプト記33章に記されているモーセの祈りは非常に重要な祈りと言えます。この御言葉を口に出して朗読し、自分の祈りとして主の道を求めて祈りましょう。

■A:考えてみよう
「今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてください。」(出エジプト記33:13)


■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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