■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記 31章 3節(ルカの福音書 22章)

★彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、 神の霊を満たした。

■O:今日のコラム
先週の木曜日のマナメールで、聖なる宮と聖なる山、モーセとアロンフルの祈り、そしてヨシュアのアマレクとの戦いを分かち合いました。
https://shinjuku-shalom.com/勝利の旗を掲げる(出17・18)/
今日の箇所は、それに続き、もう一人、マーケットプレイス、つまり遣わされているところで勝利をする人物が登場します。それはベツァルエルという人です。

「見よ。 わたしは、 ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、 神の霊を満たした。」(出 31:2-3)

ベツァルエルは優れたデザイナーです。それゆえ、今でもイスラエルにはベツァルエル大学という美術大学が存在します。イスラエルは本当に聖書を基盤としてできている国家だということを知ることができる一つです。

この人物から、本当に多くの事を学ぶことが出来ます。

– 神の召し

ベツァルエルは勝手に幕屋の建設に取り掛かったのでしょうか。そんなことはありません。ベツァルエルを呼び出したのは神様ご自身です。しかも、主はベツァルエルを名指しで呼び出したと書かれています。

「見よ。 わたしは、 ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、 」(出 31:2)

私たちは一人ひとり神様に違った形で造られています。ですから、人と比較する必要はありません。神様があなたに何を期待しているか、そのことに集中しましょう。私たちはそれぞれ、賜った物があります。私たちの得意なこと、気になること、お金や時間を費やしていること、情熱をかけていること。それらが私たちが神から賜ったものである可能性が高いです。聖書はその事を「召し」と言います。

「神を愛する人々、 すなわち、 神のご計画に従って召された人々のためには、 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、 私たちは知っています。」(ローマ 8:28)

なぜ私たちはこの地で生活している時、神を信じていながら苦しむのでしょうか。それは、神からの試練の時もあるかもしれませんが、神の召しをはっきりつかみとっていない事が原因かもしれません。みことばを通して、自分の召しを確かなものにしましょう。神様はあなたのことを名指しで呼んでおられます。その呼びかけに答えることが神を愛することになるのではないでしょうか。

– 神の霊を受ける

神は本当に良いお方で、公平なお方です。ですから、イエス様にまだ出会っていない多くの人も、神様から賜物を頂いています。彼らはそれは自分の力で成し遂げたと思っているかもしれません。しかし、その実、それは神様から賜ったものなのです。
私たちも同様、全ての人は神様から賜物を頂いています。神様が私たちを召し出してくださったのなら、それに必要な物は主が全て備えて下さいます。

「彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、 神の霊を満たした。」(出 31:3)

そうです。私たちにはすでに神から事を成し遂げるための知恵と英知と知識、そして神の霊に満たされています。問題は何でしょうか。私たちがそれを熱心に求めることをしていないことです。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。 わたしがあなたがたを選び、 あなたがたを任命したのです。 それは、 あなたがたが行って実を結び、 そのあなたがたの実が残るためであり、 また、 あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、 父があなたがたにお与えになるためです。」(1ヨハネ 15:16)

自分が出来ないことを主に求めた結果、自分の力でない上からの力が与えられることを油注ぎと言います。自分の召しに主の油注ぎを求めていきましょう。

– 技術を磨く

主からの召しを受け、油注ぎを受けたのなら、私たちはそれを土の中に埋めたままにしていてはいけません。それを用いる必要があります。赤ちゃんでも、最初に立ち上がる時、何もなく一発で立ち上がる赤ちゃんはそうたくさんはいないと思います。大抵は何度も転んでは泣き、親に抱っこされ、それでもまたチャレンジし続けてようやく自分の力で立ち上がることができるようになります。
同じように神様から与えられた賜物も用いなければいけません。失敗を恐れてはいけません。それを用いていくのです。そのための油注ぎです。さらに、その技術を磨いていく必要があります。

「それは、 彼が、 金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、はめ込みの宝石を彫り、 木を彫刻し、 あらゆる仕事をするためである。」(出 31:4-5)

ベツァルエルは「巧みに設計した」と書かれています。また、金、銀、青銅の特性も熟知していたのではないかと思います。この言葉を英語で見ると「Artistic Design(アーティスティック・デザイン)」と書かれています。デザインの日本語は意匠です。意を凝らすことがデザインということです。つまり、なんとなく仕事をするのではなく、一つ一つの仕事に主を切に求めて、創造性を働かせて自分の意を超えた神の意を凝らす事が大切です。

「心を尽くして【主】に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」(箴言 3:5)

自分の知恵には限界があります。しかし、主の知恵は限りがありません。自分の経験を踏まえつつ、そこに安住するのではなく、主により頼んでさらなる成熟と成長を目指して主から与えられている技術を磨きましょう。

– 仕事を成し遂げるために必要なこと

私たちはなぜ、神から召しを与えられ、油注ぎを受け、それを磨いて仕事を成し遂げる必要があるのでしょうか。

「このように、 あなたがたの光を人々の前で輝かせ、 人々があなたがたの良い行いを見て、 天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ 5:16)

世の中で成功するためです。イエス様も神からも人からも愛されるお方でした。

「イエスはますます知恵が進み、 背たけも大きくなり、 神と人とに愛された。」(ルカ 2:52)

私たちがまず、証人として主の栄光をあらわさなければ、なんの説得力もありません。しかし、成功が私たちのゴールでもなく、目的でもありません。それは通過点です。私たちは天の父が豊かに与えて下さるゆえに豊かになり、その豊かさを持って人々を祝福する事が目的です。多くのものを任せられたいと思うものは、まず、小さなことに忠実でなければなりません。

「小さい事に忠実な人は、 大きい事にも忠実であり、 小さい事に不忠実な人は、 大きい事にも不忠実です。」(ルカ 16:10)

ベツァルエルも忠実な働き人でした。

「彼らは、 すべて、 わたしがあなたに命じたとおりに作らなければならない。 」 (出 31:11b)

ベツァルエルは神がモーセに命じられた通りを現実のものとして作りました。そこに自分の私情は挟まれていなかったのではないかと思います。ただ、神がモーセに命じたことを自分の経験、イマジネーション、あらゆる技術を総動員させて、命をかけて最高の作品を作りました。それが幕屋です。私たちも命をかけて今していることを行いましょう。主が報いて下さいます。

– 血を注ぐ

最後に必要なのは、そこに血潮が注がれるということです。

ベツァルエルらが作った幕屋はそれだけでは意味がありません。神は、人を最初に土から造られた時も、そのままではなく、そこに息(霊)を吹きこまれました。人の手で作られた幕屋もそれで完成ではなく、至聖所にある贖いの蓋には血が注ぎかけられなければなりませんでした。それではじめて幕屋が幕屋として成立します。
同じように、私たちが生み出すものにも血潮の注ぎが必要です。

イエス様ご自身、その流された命である血によって、私たちと新しい契約を結んで下さいました。

「食事の後、 杯も同じようにして言われた。 『この杯は、 あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。』」(ルカ22:20)

イエス様の血潮によって、律法の呪いは廃棄され、律法の本質が回復していきます。それがイエス様の血潮による新しい契約です。
召しと油注ぎを受け、その召しに失敗を恐れず磨きをかけ、主が来られるその日まで忠実に仕えていきましょう。
そして、日々、血潮の宣言によってきよめられ、祝福を受け取っていきましょう。

■A:考えてみよう
自分の働きのために申命記28章1-13節、イエスの血潮の12の宣言の「2-I」を宣言しましょう。

「(イエス様血潮によって)主は恵みの倉、天を開き、時にかなって雨を降らせ、私の手のわざを祝福されます。 私は多くの国々に貸すことがあっても借りることはありません 。」

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しゅん 】

カテゴリー: マナメール

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