■S:今日の聖書の言葉

出エジプト記4章2節

★主は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」彼は答えた。「杖です。」

■O:今日のコラム

2章では、モーセは同胞であるイスラエル人を助けようとして、エジプト人を殺してしまいました。そのことで同胞からも責め立てられ、またパロにも命を狙われ、荒野へ逃れました。この時、モーセはだいたい40歳くらいだったと言われています。

主がモーセに

「 今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」(出エジプト3:10)

と言われた時、モーセは消極的で恐れていました。無理もありません。
この時のモーセはだいたい80歳くらいだったと言われています、また、モーセは殺人、そして逃亡という人生の失敗と苦い過去を背負っていました。

エジプト人から同胞を救おう!と、自分の力をふるった若きモーセはそこにはいませんでした。

主は何故、何十年も後になってモーセを召し出されたのでしょうか。何故、40代の、同胞を救う気満々だった若きモーセではなく、ヤル気がとうに失せてしまったおじいさんに呼びかけたのでしょうか。
主は、「私にはそんな大層なことが出来るような力も資格もない」と感じている、弱く低くなったモーセを呼び出したのでした。
何故でしょう。
それは、彼が「この救い(出エジプト)は自分がやった!」と誇らないためだったのではないでしょうか。

主は私たちを用いるために、私たち自身が低くされ、弱くなる(自分が弱い者であると悟る)のを待っておられます。

主は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」彼は答えた。「杖です。」(出エジプト4:2)

主がモーセを召し出された時、ただ、モーセの手には「杖」があるだけでした。
この杖は、モーセが殺人を犯し、逃亡した後、モーセが、長年いつも手に持っていた物です。
この杖は彼が毎日毎日、何年も何年も、羊を牧す時に用いた物であり、いわば彼の忠実な働きを表しています。

不思議なことに、4章の後半では、このモーセの杖は「神の杖」と記されています。

「そこで、モーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せてエジプトの地へ帰った。モーセは手に神の杖を持っていた。」(出エジプト4:20)

私たちが、主の御前に自分の弱さ、愚かさを認めて、「自分はなんて無力なんだ。自分は何者なのだろう…」とへりくだる時、その時こそ主がこの者を用いたいと願われるタイミングです。

また、主がなかなか「行きなさい。」と呼びかけて下さらないように感じる時、そんな時こそますます忠実になって、今、任されている場所に留まり、すべてのことを、へりくだって続けましょう。
たとえ、それが誰の目にも留まらないような小さなものであったとしても、感謝しながら仕え続けるなら、その忠実な歩みこそがあなたの「杖」となります。
いよいよ、主が「このことを為しなさい」と任せて下さった時に、その忠実さこそが、神の御わざをあらわす「神の杖」となるでしょう。

■A:考えてみよう
何故主が自分を通して御わざをあらわしてくれないのか、という疑問や不満があるだろうか。
日々の歩みの中で、『神様に頼らずとも自分で出来る』と思っている領域はあるだろうか。
私たちの歩みのすべてにおいて、主を認めましょう。聖霊様なしではやっていかれないことを、大いに認めましょう!

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。」(箴言3:6a)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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