■S:今日の聖書の言葉
ヘブル11章16節
★ しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
■O:今日のコラム
ここに驚くべきことが書かれています。旧約の時代に生きていた彼ら(アブラハム・イサク・ヤコブ)はなんと天の故郷にあこがれていたんです! 天の故郷を知ってそれにあこがれていた、それゆえ神はアブラハム・イサク。・ヤコブの神と呼ばれることを良しとされたんです。
今日の私たちにも同じような信仰を主は求めておられます。
私たちはゴールに向かって信仰のレースを走り続ける必要があります。 続くヘブル12章の初めには
(ヘブル12:1) こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
とあります。
この信仰のレースを走り続け、忍耐を持ってゴールに向かっていくためには当然ですがゴールが何かを知る必要があります。
マラソン選手はゴールがあることを知っているからこそ走り抜くことができるのです。同じように私たちもゴールを見つめて走る必要があります。
私たちのゴールは天の永遠の生ける神の都です。
また、ヘブル人への手紙を書いた著者はこのようにも言っています。
(ヘブル13:14) 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。
地上のものでなく天にあるもの、目に見える一時的なものでなく目に見えないものを求めることこれこそが信仰です。
またこの信仰は私たちのよく知っているダビデの信仰でもあったのです。それは有名な詩篇のこの箇所にある通りです。
(詩篇27:4)私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
主と共に住むこと、それが願いだったのがダビデです。
天にある都がこの地上に来る時、私たちは永遠に主と共に住むことになります。
詩篇にあるように、私たちの望み、幸いは主の近くに居ることです!
共に毎日の歩みの中でイエス様の十字架の血潮を携え、神様との安息に入って天にある味わいをこの地上で知り悟っていきましょう。
(黙示録21:2-4)
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
■A:考えてみよう
私たちの信仰はどこにあるだろうか?
土台をどこに置いて日々歩んでいるだろうか?
信仰は聞くことから始まります。そして聞くことはキリストについてのことばによります。御言葉の中から主にある信仰を受け取りましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 れい 】
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