■S:今日の聖書の言葉
ヘブル5:8〜10

★キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全なものとされ、彼に従うすべての人々に対してとこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえらたのです。

■O:今日のコラム
イエス様は神様の子どもでしたが、この地上に人して来られ、多くの苦しみを受けました。(8節)イエス様は、私たちと同じように、試みに会われましたが、罪は犯されず(ヘブル4:15)、神様に従順されました。

続く節に、従順ゆえに完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となりました。神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたと書かれています。(9〜10節)従順によって人々に救いを与えることができたことが分かります。

またヘブル4、5章には、大祭司は、罪は犯されなかったけど、私たちと同じように試みに会われたので、私たちの弱さに同情されない方ではありません、また、自分自身も弱さを身にまとっているので、人々を思いやることができるのですと書かれています。

私たちクリスチャンもこの世にあって祭司として選ばれています。(1ペテロ2:9)しかし、私たちもこの地上において苦しみを通されます。なぜでしょうか?その苦しみを通して従順を学ぶためです。(ヘブル5:8、詩篇119:7)また、Ⅱコリント1:6には、私たちの苦しみが人々の慰めと救いのためであると書かれています。

私たちが苦しみを通して従順を学ぶ時に、同じような苦しみを通っている人々の弱さを思いやり、その人たちを本当にとりなすことができると信じます。

大祭司が至聖所にささげ物といけにえを持って入るのは、契約の箱に血を注いで、民の罪の贖いをするためです。イエス様が私たちの偉大な大祭司です。イエス様は天で私たちのためにとりなしておられます。(ローマ8:34)そして、私たちが祭司として血を携えて至聖所に入るのは、やはり人々の贖いのためです。今イエス様がとりなしておられるように、私たちも血潮を注いでとりなすためです。

私たちも血潮を受け、恵みを頂いて御座に近づいていきましょう。また、弱さや苦しみの中にある人を覚えてとりなしていきましょう。
■A:考えてみよう
血潮を受け、恵みを頂いて御座に近づいていきましょう。また、弱さや苦しみの中にある人を覚えてとりなしていきましょう。
■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あいこ 】

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