■S:今日の聖書の言葉

ヘブル人への手紙3章12節〜13節(ヨブ記31)

★兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。
「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。

■O:今日のコラム

私たちが聖書を読む時、それは誰か主を知らない人に対して語られている言葉ではなく、私たち信じる者に向かって書かれているものであることを覚えなければなりません。

今日の箇所、ヘブル人への手紙ですが、これも決してヘブル人だけに向けられているのではなく、今日の信じる私たちへのメッセージであり、警告であります。

皆さんも経験があるでしょうか。みかんの山、1つだけ腐りかけているものを気付かずに放置しておいたら、そのみかんの周り他の何個かも腐りが移り、何個かダメになって食べられなかったことがあります。

13節にあるように、「罪」とは分かりやすい形で私たちの中に立ちはだかるのではなく、こっそり私たちの中に巣を作り、それを放置しておくと、その罪が私たちを惑わし、私たちの心を神様に対してかたくななものにし、罪は私たちの心を不従順さへと誘います。

その神への不従順な心が、私たちを愛する方から遠ざけてしまいます。

神が何を喜ばれ何を悲しまれるかを知りながら、神のみことばに従わないこと。それは不従順な心です。

「また、わたしの安息にはいらせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。」(ヘブル3:18)

神が全信頼を受けるのに価する方であると知りながら、神ではなくこの世の知識や自分の力に頼ること。それが信頼しないこと、すなわち不信仰であります。

主は「私が聖であるから、あなたがたも聖でありなさい。」と言われました(レビ記11:44,45)

また「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイ5:48)

と言われました。

弱い私たちが、自分の赴くままに生きていては、到達することは到底無理です。

日々、主の似姿へと変えられることを願い、きよさを愛していかないとならないのです。

もちろん、自分の力では無理です、そのために私たちには聖霊様が与えられています。

御霊によって祈り、悔い改め、きよめられ、御ことばに従い、皆で共に主の安息、約束の地に入りたいと願います。皆で共に、御国を受け継ぎましょう!

■A:考えてみよう

私の生き方はみことばに従っているだろうか?

これは決して律法主義なのではありません。愛する方をどうやって喜ばせることが出来るかを追求すること、つまり、愛して下さる方への愛の応答なのです。

自分の歩みの中に、主を悲しませるものがあるのなら、それを明け渡すことが出来るよう、御霊の助けを求めましょう。

それを、悔い改め、悔いた心をいけにえとして主に捧げるならば、主はどれほどに喜んでくださるでしょう!主はそれをさげすまれません。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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