■S:今日の聖書の言葉
ヨブ記22章2〜3節

★人は神の役に立つことができようか。賢い人さえ、ただ自分自身の役に立つだけだ。あなたが正しくても、それが全能者に何の喜びであろうか。あなたの道が潔白であっても、それが何の益になろう。

マタイによる福音書22章37〜40節

★そこで、イエスは彼らに言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

■O:今日のコラム
しゃろーむ!2月16日の朝です。今日1日も、神様と共に生きていきましょう。主は僕らを、天のお父さんとイエス様と聖霊様の三位一体の愛なる主のように創造されたからです。

僕ら人間は、本当に弱い存在です。様々な技術をもってしていても、神様の役に立つものではありません。様々な技術をもってしていても、神様の偉大な創造のわざの全てを知ることはできません。しかし、僕らに与えられている戒めは、僕らの全てをかけて神様を愛することです。

愛なる神様を、愛するということは、何だかおこがましいというか、生意気というか、そんな感覚を僕はもってしまう時があります。しかし、人からどう見られていても、「あなたが正しくても、それが全能者に何の喜びであろうか。あなたの道が潔白であっても、それが何の益になろう。」と言われても、神様は僕らに、「わたしを愛してくれ!」と言い続けています。

まずイエス様が、僕らに、十字架の上で命がけの愛を示してくださいました。僕らが、何ができてもできなくても、何を得ても失っても、天のお父さんの子供としての権威を受け取る特権を与えてくださいました。僕らは、イエス様の十字架と復活の勝利を信じる信仰によって神様の子供です。イエス様によって買い戻された者です。

だから、主に愛されている者として、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めを実行することができます。イエス様の言葉が僕らの内側にとどまり、イエス様の愛にとどまることが、僕らに必要です。互いに愛し合うこと、これがイエス様が僕らに与えられている戒めです。

僕らが自分の力でなんでもできて、神様の役に立つことができるから救われたわけではありません。僕らが、神様に頼りっきりにならなければならない弱い者だからこそ主は、僕らを救われました。神様の御前でだれをも誇らせないためです。だから、今日1日も、神様の愛を受け取り、神様を愛し、隣人を愛していきましょう。

■A:考えてみよう
主を愛することを、御言葉によって宣言していきましょう。主の素晴らしさを賛美していきましょう。イエス様の十字架の血潮にあって神様の子供であるということを宣言していきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひろみち 】

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