■S:今日の聖書の言葉
マタイ21章12〜13節(ヨブ21章)
★それから、イエスは宮に入って、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
(マタイ21:12〜13)
■O:今日のコラム
「祝福あれ!主の御名によってこられる方に!」この叫び声に包まれて、イエス様はロバに乗ってエルサレムに入城されました。再臨のイエス様は、同じ叫び声の中、白い馬に乗って、裁き主としてエルサレムにやって来られます。
宮をきよめられる、ここでのイエス様は、裁き主として来られる姿を彷彿とさせます。裁きはいつでも主の宮から始まります。
ここでイエス様が宮でされる事は、神の家である教会と私たち自身に、主が終わりの時に求めている事を反映しています。
1 宮で売り買いする者を追い出す
主は信仰を利得の手段とする事を嫌われます。
その様な心を私たちの宮(自分)から追い出しましょう!
愛するという事は、「自分の利益を求めず」なのですから。
主は、私たちを何も駆け引きなしに愛してくださいました。
そして、今もそうです。
ただ理由なく愛されている。
愛される者として創られたから、愛されているのです。
その愛を受けて、私たちの愛はますます、純粋に、駆け引きのないものになっていく事を信
じます。
残りの二つは、その内容についてを説明しています。
2 両替人の台をひっくり返す
この台とは、テーブルという言葉が使われています。
テーブルとは、交わりの場を指します。
テーブルは食卓とも訳されています。
食事とは交わりそのものです。
主との交わりが利得のためとなる事を主はひっくり返されます。
このテーブルはどうあるべきでしょうか?
神殿の中にもテーブルがあります。
そして、そこには備えのパンが置いてありました。
御言葉のパンを食べる事は、御言葉なるイエス様との交わりです。
テーブルの真ん中には、御言葉があるのです。
使徒たちも、主の食卓は、まず御言葉である事を証言しています。
そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。(使徒6:2)
そして、そのテーブルは、燭台の光によって照らされていたのです。
その炎は御霊を指します。
パン(御言葉)とぶどう酒(御霊)との交わり。
それが聖餐式でもあります。
神の聖所は主の食卓です。
そこに私たちは、賛美のいけにえ、すなわちくちびるの果実を添える事が出来ます。
また、自分の体を生きたきよい備え物(いけにえには、ごちそうという意味がある)として捧げる事が出来ます。
自分自身を捧げて、初めてこの交わりに深く入る事ができます。
つまり、そうして初めて、真理を悟る事ができる様になっていくのです。
また、タラントのたとえやミナのたとえの「銀行」という言葉がこのテーブルという言葉が使われています。
だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
(マタイ25:27)
私たちのタラント(賜物という意味がある)は、聖徒の交わりのテーブルに置かれるべきものです。
2 鳩を売る者の椅子
この椅子は、その人のポジションを指す言葉です。
「パリサイ人たちは、モーセの座を占めている」の座が同じ言葉です。
鳩を売る事は、御霊の賜物を自分の利益、名誉のために用いる事です。
その様な者の椅子をイエス様はひっくり返されます。
私たちは、主とともに天の所に座るべきであり、この地を治める王なる祭司として、王座に
つくべきです。
その全ての事を祈りの中で、主とともにしていく事。
それが祈りの家です。
それを、強盗の巣にしてはなりません。
■A:考えてみよう
主の啓示しておられる祈りの家となる
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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