■S:今日の聖書の言葉
ヨブ記8章13~14節
★すべて神を忘れる者の道はこのようだ。神を敬わない者の望みは消えうせる。その確信は、くもの糸。その信頼は、くもの巣だ。
マタイによる福音書8章25~26節
★弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
■O:今日のコラム
しゃろーむ!2月2日の朝です。今日1日も、主に信頼していきましょう。イエス様が共にいてくださる事を感謝していきましょう。イエス様からいつも教えてもらいましょう。イエス様を寝かさないようにしていきましょう。決してまどろまず、眠らない主を賛美していきましょう。主は、信仰の創始者であり、完成者だからです。
ヨブさんの友達ビルダデさんは、主に信頼することの大切さをヨブさんに伝えます。しかし、この言葉は、ヨブさんにとって知っていることでした。それ以上に、ヨブさんは、自分自身をどこまでも愛してくださる主の愛を正しく恐れ、その愛に応えられない自分の弱さを訴えていました。
『人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。また、朝ごとにこれを訪れ、そのつどこれをためされるとは。いつまで、あなたは私から目をそらされないのですか。つばをのみこむ間も、私を捨てておかれないのですか。』(ヨブ記7章17~19節)
知っていることを他の誰かから言われると、なぜか腹が立つことがあります。今やろうとしている時に、「あれやったの!?」っと言われると、やる気がなくなる時があります。ヨブさんはすでに主の方向に目を向けていました。その時に必要だったのは、主からの御言葉による確信でした。
主の愛に応えられない自分の現状を知ると、本当に落ち込む時があります。しかし、イエス様が、山の上で一番最初に語られた御言葉が心の貧しい者、悲しむ者についてだったことを感謝します。僕らは、まず、ありのままでイエス様の元に行くことができることを感謝します。(1コリント7:17,24など)
マタイ8章の前半はイエス様に信頼して、ありのままの自分でみもとに行く者たちが書かれています。ツァラアトに冒された人。ひとりの百人隊長と中風のしもべ。ペテロのしゅうとめ。悪霊につかれた大勢の者たち。病気の人々。皆、イエス様にすがる思いで来ていました。イエス様は、御言葉で、霊を追い出し、病を癒しました。御言葉なるイエス様は、御言葉に信頼していました。イエス様の信仰は、とてもシンプルでした。100%の信頼でした。
舟の上での弟子たちは、イエス様の言葉に風や湖まで言うことをきくとは思ってもみませんでした。イエス様がどんなお方か、100%知っていなかったからです。弟子たちは、一つ一つを学んでいきました。舟が沈みそうなことを主に素直に言うことの大切さも学びました。信仰は主に信頼することです。何があっても、良い時も、悪い時も、主の全能の力に信頼することです。僕らも、一つ一つの試練に思える出来事を通して、イエス様への信仰を学んでいきます。
主と共に生きることは、主と絶えず語り合うことなのだと思います。絶えず目をさましていて、祈ることです。主の御声を求め続け、聴き続け、従い行動するのです。主を寝かさないようにしていきましょう。そして、主が静まるならば、僕らも静まるのです。
イエス様は、信仰の創始者として、天のお父さんの御声に聴き従い続けました。イエス様が十字架を通して、天のお父さんの御心を成し遂げました。イエス様を信じる全ての者が、イエス様の血潮によって聖められました。
そして、イエス様の復活の勝利によって、僕らの内側に聖霊様が住んでくださいます。聖霊様は、僕らに、天のお父さんの御声に聴き従う力を与えてくださいます。聖霊様が、御言葉に信頼することを教えてくださいます。聖書は、聖霊様によって書かれたからです。
主は、時として、人を通していろいろなことを教え、御言葉も与えてくださることがあります。知っていることを他の誰かから聞いた時に、感謝し、主がその人を遣わしてくださったと信じ、聞く耳をもつことができるように、祈っていきましょう。
■A:考えてみよう
主の御声を求めていきましょう。主の御顔を求めていきましょう。主の御心を求めていきましょう。主の御前に出ていきましょう。すべてを委ねていきましょう。すべてを捧げていきましょう。主の力ですべてできることを信頼して、賛美していきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひろみち 】
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