■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書7章7~12節
★求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。
■O:今日のコラム
ここの直前では、神の国とその義とをまず第一に求めなさい、と語っておられます。そして、すぐに『求めなさい』なのですから、これが神の国とその義とに関わるものと受け取るのはふさわしいでしょう。
何を求めるのでしょうか?ここに一番ふさわしいものは、御言葉であるといえます。だから求めて与えられるものがパンや魚といった、食べ物にたとえられています。御言葉は私たちの霊的なパンです。御言葉のパン、語られるレーマを今日も受け取っていきましょう!主は日ごとの糧を今日もお与えになります。
この『求めなさい』、『探しなさい』、『たたきなさい』は、原語では『求め続けなさい』、『探し続けなさい』、『たたき続けなさい』です。御言葉の糧、天からのマナは、神の民が、毎日求め続けるように出エジプトの時から定められているものです。
『探し続けなさい』ですが、箴言には、主は自らを知恵と呼び、知恵を求めなさいと教えています。そこには、こう書かれています。
『わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。』(箴言8:17)
正しく、義をもって地を治めるために(つまり神の国とその義のために)これを求めるように勧めていますが、その者は、その知恵(御言葉)を熱心に探すのです。探すのは王の誉れです!
『たたき続けなさい』は何でしょう?詩篇にはこうあります。
『みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。』(詩篇119:130)
そして王(私たちは王なる祭司)は、大胆にその御言葉を宣言し、主がそれを実現されるのです。続きはこうです。
『私は口を大きくあけて、あえぎました。あなたの仰せを愛したからです。』
(詩篇119:131)
大きく口を開ける、とは大胆な宣言の事です。
『わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。』(詩篇81:10)
私たちは口を大きく開け、主の御名で宣言しましょう!主は、それを満たすと約束しておられます!何でも良いのではなく、御言葉に基づいた宣言であることが大切です。御心にかなう願いは必ず実現するからです。私たちの祈り、宣言を通して、この地に御国が来るのです。
そして、何故、ここでその直後に『自分にしてもらいたいように、人にもしなさい。それが律法であり、預言者です』なのでしょう?私は、長い間分かりませんでした。でも何か腑に落ちるものがありました。
『自分が御言葉からの語り掛けを求めているなら、それを人に分かち合いなさい』と解釈することができます。自分がして欲しいことは、レーマを受け取ることだからです。
そして、互いに御言葉を分かち合ってきよめられていくことは、互いに愛し合う事の中心なのです。イエス様はヨハネ福音書で、自分の去っていく時を悟って、余すところなく、愛を示されました。それは、弟子たちの足を洗ってあげることでした。互いに足を洗いあうことには、互いに仕える、互いにへりくだる、そのような意味ももちろんあります。しかし、御言葉の水で足のちり(世の汚れ)を洗い合う事は、互いに愛し合う事の中心です。
愛は人の徳を高める(人格を建て上げていく)ものです。その人に対する神の計画が前進していく事こそ最も素晴らしいことです。互いに教え合い、互いに戒め合い、互いに黙示し合い、私たちは互いの徳を高め、愛し合いましょう。
それは、イエス様が愛してくださったように、兄弟が互いに愛し合うという、キリストの律法、最高の律法、完全な律法を全うする、一つの形なのです。
■A:考えてみよう
御言葉を慕い求め、分かち合う
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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