■S:今日の聖書の言葉
創世記49章29節、50章25節
★『彼はまた彼らに命じて言った。「私は私の民に加えられようとしている。私をヘテ人エフロンの畑地にあるほら穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。』(創世記49:29)
★『そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。』
■O:今日のコラム
遺言とはとても大切な事を伝えるものであるはずです。ヤコブの遺言、ヨセフの遺言。それはとても似たものでした。
それは、どちらも私をここではなく、約束の地に葬ってくれ、というものでした。特にヨセフが語った『遺体』という言葉は、(へ)エトセムという語で、骨、本質という意味の言葉です。彼らは、肉体は滅んでも、自分の本質は約束の場所に行くという事を知っていたのです。私達は、もっとはっきりと知っています。この地上での営みが終わったら天に行くのだという事を、私たちの約束の場所に行くのだという事を。
この地上での歩みは、奇留者としての歩みです。いつでも目的地、ゴールを見据えて歩んでいる事は、歩みを確かなものにしていきます。ヤコブは年を経るごとにその確信が増していきました。130歳のときの発言はこうです。
ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」(創世記47:9)
この『たどった』という語は、(へ)マグールで、英語のKJVでは、巡礼の旅と訳されています。原語的に見ると一時滞在という意味の言葉です。実際にヤコブは、アブラハム、イサクと比べて短命(と言っても147歳まで!)でした。その人生は一時滞在であった、と告白しているのです。
この地上での歩みが、この地上だけを考えたものでなく、永遠という現実を信じたものとますますなっていきますように!
■A:考えてみよう
イエス様の元に行くゴールから目を離さない
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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