■S:今日の聖書の言葉
創世記41章38節(創世記42章)
★そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」
■O:今日のコラム
ヨセフはイスラエルの民・つまりヤハウェなる神を信じていながら、事実上エジプトを治める王のような立場にありました。これは、信仰を持ちながらも一般社会で働く私たちにとって大きな励ましとなります。
なぜヨセフはそのようになることが出来たのでしょうか。創世記41章を中心に見ていきたいと思います。
ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」(創世記41:16)
パロはエジプトの王です。エジプトはバビロンのシステム、つまりこの世に属する世界を象徴しています。その王はパロです。パロはこの世の君の象徴です。パロの王冠には蛇があったということからもその事がわかります。そのようなパロに対してヨセフはへりくだった心を持っていました。パロの繁栄を願い、神の言葉を取り次ぎました。
勘違いしてほしく無いのは、これはエジプトのシステムを賛美することではないということです。仕えているところで立てられた、上の権威に従うということです。
「人はみな、 上に立つ権威に従うべきです。 神によらない権威はなく、 存在している権威はすべて、 神によって立てられたものです。」(ローマ13:1)
私たちは聖書からたくさんの知恵を得ることが出来ます。残念ながら神様をまだ知らない人は神からの知恵を十分に受けることが出来ません。この神からの知恵を持って、仕えている場所で立てられている上に立つ権威の者に進言するのです。また、その知恵を持ってお客様に対応し、同僚、友人に対応するのです。
しかしここで気をつけたいのは、知恵には二種類あるということです。神からの知恵と、悪魔からの知恵です。
神の知恵はこのように書かれています。
しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。(ヤコブの手紙3:17)
一方、悪魔、つまりこの地に属する知恵はこのように書かれています。
「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。」(ヤコブの手紙3:14,15)
私たちの心にあるものはどちらでしょうか。私たちはみことばを読んで心を見張っていく必要があります。
「力の限り、 見張って、 あなたの心を見守れ。 いのちの泉はこれからわく。」(箴言2:24)
神からの知恵を得たなら、それを持って進言するときに必要なのはへりくだりです。ヨセフがしたように、神の知恵を自分のものとせず、神に栄光をお返しする事を心がけましょう。そのような心を持って遣わされているところで仕えるなら、このように言われるでしょう。
「そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」(創世記41:38)
これこそ、イエス様が言う地の塩、世の光です。自分の力で輝こうとすることをやめ、まず神様の光を受けて輝くことを目指しましょう。
そのために必要なのは忍耐です。
「あなたがたが神のみこころを行って、 約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル人への手紙10:36)
ヨセフもこの瞬間のために、どれほど耐えたでしょうか。兄弟たちによってエジプトに奴隷として売られ、エジプトでは牢屋に入れられ…。それでもヨセフは主を礼拝し続け、信頼し続けました。その結果、パロからこのような言葉が出てきたのです。
パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。
あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」
パロはなおヨセフに言った。「さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」(創世記41:39-41)
私たちは世の中に飲まれてしまう弱い存在ではありません。私たちに委ねられている力は、死というハデスの門を打ち破るほどに力のあるものです。
「ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18後半)
苦難の中において、何もしないでおくのではなく、その時こそ主を見上げ、みことばに依り頼む絶好の機会です。
幕屋のひそかな場所にかくまわれ、そこでも主を礼拝し続けるなら、主がちょうどいい時に私たちを岩の上において下さいます。その時こそ、一気に主の道を駆け抜ける時です。
遣わされているところで、神の言葉を受け取って、それをもってその場所を治めるものになりましょう!
■A:考えてみよう
自分は今いるところの空気に飲まれていないだろうか。世の中に流されていないだろうか。世の中と神、どちらに軸足を置くものだろうか。
どこに行っても神を認め、その場所にみことばと祈りを持って祭壇を築くなら、そこがベテルとなります。
私たちは世に打ち勝つものとして神様にあらかじめデザインされたものです。私たちのお父さんは全てを治める天のお父さんです。戦いに勝利ある主です。
それであれば、神の子として私たちも勝利を相続しています。
世を治める者として立つことができるよう、家庭の中に祭壇を築きましょう。それは難しいことではありません。家族で、また、一人暮らしなら家の中でみことばを音読しましょう。
ことばは神、神はことばです。神のことばであるみことばを、神の子どもが音読するなら、文字として定着していたことばが聖霊様の息吹によって命を与えられ、神の子の口を通してこの地に解き放たれます。
みことばを音読することは誰にでもできることです。みなさんにとって、一日のうちでみことばを音読することは難しいことでしょうか。5分、10分をみことばの音読のために裂くことはこんなんでしょうか?スマホを脇に置き、神のことばを音読しましょう。霊的な筋肉を鍛えましょう。この事を小さなことと見ないでください。永遠の命に関わる本当に重要な事です。
皆さんが今まで以上にみことばに親しむ生活をおくることができるよう祝福します。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
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