■S:今日の聖書の言葉

使徒の働き9章1-2節(エレミヤ書9章)

★ さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、
ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛りあげてエルサレムに引いて来るためであった。

■O:今日のコラム

私が子どもの頃住んでいた所の周りでは、いわゆる「暴走族」がよく出没していました。派手なデコレーションと爆音で駆け抜けていく彼らを見て、母はよく「あのエネルギーを発電に使えば人のために役に立つのに…」とこぼしていたことを思い出します。

彼らは自分を表現する力を持っていましたが、その使い方を少し違った方向に使っているだけなのです。

今日の聖書の箇所の前では、イエス様が十字架の死と復活を経て、聖霊様が注がれました。

人々は次々とイエス様を信じ、教会は急成長を遂げていきました。しかし、その一方で迫害も強くなり、一昨日読んだ7章では、初の殉教者が出たほどです。その殉教の場所に居合わせたのが青年サウロ、後にパウロと呼ばれる人物です。

サウロはとにかくアツい青年でした。何にアツいかというと、「この道の者」、すなわちイエス・キリストを信じるものを徹底的に排除しようとすることに心血を注いでいました。

ステパノの殉教によりエルサレムの教会では、使徒たち以外はユダヤとサマリヤの地方に散らされたと書かれています。(8章1節)

しかし、サウロはそれだけでは物足りず、地方に散らされた「この道の者」を見つけ出してエルサレムにまで引っ張り出してこようとしていました。

ところが、その途中、主がサウロに直接語りかけられ、サウロは目が見えなくなりますが、後にアナニヤに祈られ、目からうろこのようなものが落ち、再び目が見えるようになります。そして、今度は、熱心にキリストの福音を述べ伝え始めたのです。

私はこのところから、行動する大切さを教えられました。

サウロは間違った行動をしていたかもしれません。しかし、主はその行動を通して、サウロと出会い、彼を変えられました。もし、サウロが主の弟子たちに対して脅かしと殺意の意に燃えていたとしても、行動に移さなかったら何も変化はおこらなかったのではないかと思います。

イエス様のたとえの中でも、タラントを預けられた者の話があります。そこでタラントを預けられながらも何もしなかったものに対して、主人は怒りました。

失敗してもいいという覚悟で、一歩を踏み出してみましょう。壁にぶち当たるかもしれません。反対方向に進んでいくように思えるかもしれません。

しかし、長い目で見ると、その踏み出した一歩があったからこそ、主によって変えられ、成長させられたということを知る時が来るはずです。

■A:考えてみよう

自分の中に、怒りの感情、反抗心、何かに対する激しい抵抗感などはありませんか?

神様はあなたのその部分を明け渡して欲しいと願っているのではないかと思います。サウロに働かれた神様は今もなお生きて働かれて、あなたのことを愛し、呼び続けてくださっています。

あなたの中の負のベクトル(力)が主に向く時、爆発的な力を持って御国の拡大に貢献できるようになると信じます。

何かをやらずに後悔するより、やって後悔したほうが気持ちいいはずです。
少なくとも、やって後悔した中からは多くの貴重な事を学ぶことができ、次回に生かすことができます。

主はインマヌエル。いつもあなたと共にいてくださいます。失敗を恐れず、前に向かって突き進んでいきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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