■S:今日の聖書の言葉
ゼカリヤ書14章4〜8節(ヨハネの黙示録18章)

★その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。
山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。
 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。
これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。
その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。

■O:今日のコラム
ここは、黙示録の19章と対応しているように見えます。その時には、主の御座からいのちの水の川が流れてゆきます。この様子はエゼキエル47章にも描かれていますが、エゼキエルは東の方に流れる川しか見えていなかったけれど、ゼカリヤは西にも流れる川を見ています。預言というものは、一つの側面を見ているものなので、二人の証人によって確かなものとされる事がここでも見て取れます。
御座から流れるいのちの水の行き先は死海である事がエゼキエル47章から分かります。地理的に、エルサレムと死海の間にはオリーブ山があって、真っ直ぐに川が流れることは出来ません。しかし、4節にあるようにイエス様が地上に来られる時にオリーブ山は北と南に分かれて谷ができるのです。そこにいのちの水が流れます。そして真っ直ぐ死海に注ぐのです。
面白いのは、いのちの水の川は、まだ谷のうちから神の民が通る救いの道として用意されている事です。いのちの水の川は、常にいのちをもたらすのです。
そして直ぐに湧き水が流れて死海に注ぎ、死海がいのちに満ち溢れるようになります。いのちの水の川は、死に満ちた世界にあっていのちをもたらす力に満ちています。そして、このいのちの水の川が、私たちからも流れているのです!
 
『さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。』
(ヨハネ7:37〜39)

御霊の満しは、私たちの満足や自慢のためではありません。死のある所にいのちをもたらすためにです。癒しの必要なあらゆる領域に癒しをもたらし、喜びの必要なあらゆる人々に喜びをもたらし、希望のない人々に希望を与えるものためのものです。

■A:考えてみよう
まず、主のもとに行って飲みましょう。そのような祈りの時間を毎日取りましょう。朝起きて、水を飲むように、霊的にも同じ事をしましょう。そして流し出すのです。受けて流す。愛されて愛する。


■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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