■S:今日の聖書の言葉
黙示録5章1節(ゼパニヤ書2章)
★また、 私は、 御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。 それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、 七つの封印で封じられていた。
■O:今日のコラム
私たちの教会の聖書通読では、毎年年末に黙示録を読むことになっています。通読箇所で黙示録が巡ってくるたびに、年末であることを思い出し、毎年新しい啓示を主が開いてくださっていることを確認することが出来ます。
今日の聖書箇所は黙示録の5章です。ここでは天の賛美と地の賛美が一つになる様子を見ることが出来ます。
これはダビデの幕屋の回復を啓示していると見ることも出来ます。祈りの家において聖徒らが心を砕いて、主の御名を呼び求めるなら、そこに天の窓が開け、御使たちが上り下りするベテルとなります。そして、天と地が一つとなり、主の栄光がこの地に解き放たれていきます。
それでは、このような状態になるにはどのようにすればいいのでしょうか。その鍵は1節にあります。
聖書のみことば、とくに黙示録は一見難解に見えるかもしれません。しかし、聖書は難しいですが親切です。必ずどこかに紐解く鍵があります。1節には巻物は七つの封印で封じられていたとあります。「7」とは聖書では完全さ、完成を意味します。神が7日間ですべての被造物を創造されたからです。この完全な封印された書物は開かれないのでしょうか。否。開かれます。それではどのようにすれば開かれるのでしょうか。
すると、 長老のひとりが、 私に言った。 「泣いてはいけない。 見なさい。 ユダ族から出た獅子、 ダビデの根が勝利を得たので、 その巻き物を開いて、 七つの封印を解くことができます。 」(5節)
そうです。ユダから出た獅子、ダビデの根。つまりイエス様によって解くことが出来ます。この方を通してでなければ聖書の封印は紐解かれません。
「狭い門から入りなさい。 滅びに至る門は大きく、 その道は広いからです。 そして、 そこから入って行く者が多いのです。」(マタイ7:13)
「わたしは門です。 だれでも、 わたしを通って入るなら、 救われます。 また安らかに出入りし、 牧草を見つけます。」(ヨハネ10:9)
旧約聖書、福音書、手紙であっても、聖書66巻はすべてイエス様の十字架を通して読む必要があります。その時、啓示が開かれていきます。また、知恵と啓示の御霊によってその啓示は更に深められ、神様をより深く知ることができるようになります。
「どうか、 私たちの主イエス・キリストの神、 すなわち栄光の父が、 神を知るための知恵と啓示の御霊を、 あなたがたに与えてくださいますように。」(エペソ1:17)
それでは封印とは何でしょうか。
「私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、 すさまじい炎です。」(雅歌8:6)
封印とは、主の私たちに対する燃えるような愛です。イエス様の十字架を通してみことばが開かれていくなら、主の燃えるような愛が私たちの胸に、また私たちの燃えるような愛が主の心臓の上に押し付けられるのです。これこそ主と全く一つになることです。エデンの園で主とアダムが持っていた、あの関係です。私たちはみことばと祈り野よって、いつもエデンの園での主との関係、いつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝することができる生活をこの地で送ることが出来ます。
黙示録5章を読んでいくなら、この後賛美の回復(8節)祈りの回復(8節)そして私たちのアイデンティティの回復(9節)さらに御使いの声を聴く耳が与えられて行きます。(10節)
そして、ついには天と地が一つとなり賛美を捧げます。
また私は見た。 私は、 御座と生き物と長老たちとの回りに、 多くの御使いたちの声を聞いた。 その数は万の幾万倍、 千の幾千倍であった。
彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、 力と、 富と、 知恵と、 勢いと、 誉れと、 栄光と、 賛美を受けるにふさわしい方です。 」
また私は、 天と地と、 地の下と、 海の上のあらゆる造られたもの、 およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、 小羊とに、 賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。 」(黙示録5:11-13)
全ての生徒らに、ダビデの幕屋が建てなおされ、アダムのような、エノクのような、またノアのような、主と共にこの地を歩む人生を送ることができることを祝福します。
■A:考えてみよう
みことばを愛しているだろうか。一日にどれくらいの時間、みことばと向き合っているだろうか。愛は時間と比例するという言を聞いたことがあります。自分に与えられている24時間という時間を何に費やしているだろうか。スマートフォンを見る時間がみことばを見る時間より上回ってないだろうか。
自分を客観的に知るためにも、一日の行動を記録してみましょう。それを一ヶ月も続けるなら、自分の行動パターンを知ることができます。そして、1分でも1秒でも多くの時間を主に捧げることができるよう、あらゆる努力をしていきましょう。その努力に主はその主人は彼に言った。
『よくやった。 良い忠実なしもべだ。 あなたは、 わずかな物に忠実だったから、 私はあなたにたくさんの物を任せよう。 主人の喜びをともに喜んでくれ。 』(マタイ25:23)
と、主の喜びを味わうことができる者とされていきます。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【しゅん】
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