■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙第一3章14~18節

★いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。
キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。

■O:今日のコラム

義のために味わう苦しみは「キリストの苦しみ」(1ペテロ4:13)です。完全に義なる方は、この地上でいわれのない苦しみに会いました。これは何のためだったでしょうか?今日の聖句の18節にも出てきますが、それは私たちの救いのためでした。
 私たちの善い行いが非難や中傷の中でなされる時が必ずやってきます。主をあがめながらそれを成し遂げていく聖徒を見てそれを非難、中傷していた者は、恥じ入るようになっていくと書いてあります。恥じ入るとは悔い改めて主の救いの中に入っていく事が当然そのあとに伴います。

『こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。』(ルカ13:17)

迫害の中で義を行うということは、最高レベルの伝道となるのです。それはいつ実りが見れるかは私たちには分かりません。今日の聖句では「いつでもいつでも弁明できるように準備しておきなさい」と語っています。しかし、ずっと後になって彼らが主に立ち返ることもあるのです。パウロがステパノの殉教を心に留めていたように。

『異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。』(1ペテロ2:12)

ここでは、それはおとずれの日(再臨のとき)に、とあります。私たちがこの目で見れるかどうかは、どうでも良いのです。これは私たちの命を燃やしてする最高の伝道なのです。そしてこれは、すべてのクリスチャンに対して与えられている召しなのです。召しには個人的な領域もありますが、全員が召されている召しというものもあります。みなが王なる祭司として、キリストの花嫁として召されているように。

『人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。』(1ペテロ2:19~21)

これは、御国に入っていくステップである8福の8番目でもあります。
なぜこの御言葉が8福の8番目に置かれているのでしょうか?

『義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。』(マタイ5:10~12)

■A:考えてみよう
この召しを受け入れる。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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