■S:今日の聖書の言葉
ヨハネ17章全体
■O:今日のコラム
ヨハネ17章全体は栄光の教会の完成へのステップが書かれています。教会は主の前に一つにされ、そして教会とイエス様とは一つに結ばれるのです。
1 礼拝者
『わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。』(ヨハネ17:11)
御名の中に保たれ、守られている事である、と12節にあります。私たちは、主の囲いの中で守られている羊の群れです。この囲いはエデンの園でもあり、神の聖所の大庭でもあります。
イエス・キリストという門を入ってしかここに入る事はできません。この中に入る者は主に仕える者であって礼拝者です。エズラ記が礼拝の回復から描かれていた事は、まず礼拝者としての回復が最初である事を意味します。
2 しもべ、弟子
弟子とは御言葉にとどまり、イエス様に従順する者の事です。
ここでは、御言葉が与えられる事が書かれています。(14節)真理によってきよめ分かたれるとも(17節)。それは、弟子の状態です。従順であるが故に、御言葉が与えられていくシーズンは弟子であり、しもべとも言えます。サムエルは「しもべは聞いております。どうぞお語りくださください。」と言いました。
『弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。』(マタイ10:24)
ともあります。ここでは、弟子としもべが並列して書かれています。どちらも従順する者という特徴があります。また真理は弟子となるときに悟る事ができるものであって、そして真理によってきよめ分かたれるのです。
『そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」』(ヨハネ8:31〜32)
それは必然的に遣わされるシーズンでもあります。
『あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。』(ヨハネ17:18)
それは、伝道するという事が中心です。
『わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。』(ヨハネ17:20)
それは、互いに愛し合う事の大事な側面でもあります。『互いに』や『隣人』とはヘブル語で「レア」です。
『モーセは、しゅうとを迎えに出て行き、身をかがめ、彼に口づけした。彼らは互いに安否を問い、天幕に入った。』(出エジ18:7)
ここの『互いに』にレアが使われています。モーセのしゅうとイテロはミデアン人の祭司です。異邦人、つまり信仰者でない者が一つ天幕に入る事は、伝道を指します。
また当然兄弟同士が愛し合う事を意味します。愛するとは、徳を高める事であり、その人が建て上げられるお手伝いをしていく事です。神の計画に沿ってその人が建て上げられていく事以上の愛し方はありません。それによってキリストの弟子がいる事を世が認めていきます。
『もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。』(ヨハネ13:35)
それがこの2番目のステップの状態です。これが教会が一つになるために必要です。
『それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。』(ヨハネ17:21)
3 栄光の教会
その教会には栄光が与えられていきます。
『またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。』(ヨハネ17:22)
これが全うされて一つにされた栄光の教会です。
『わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。』(ヨハネ17:23)
イエス様の初臨の時に十字架が示された様に、神を愛する愛(縦の木)と、兄弟を愛する(横の木)による十字架が世に示されて、再び主は来られるのです。
■A:考えてみよう
今の自分に対して主が求めているものはどこに当てはまるだろう?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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