■S:今日の聖書の言葉
サムエル記 第二 19章30節(同20章)
★ メフィボシェテは王に言った。「王さまが無事に王宮に帰られて後なら、彼が全部でも取ってよいのです。」
■O:今日のコラム
時に私達は誠実に善意を持って行動をしても人から勘違いされる事があります。今日の箇所に登場するメフィボシェテがまさにその様な境遇に置かれました。
メフィボシェテは幼年に足を複雑骨折した為に、一生歩く事が出来ないハンディキャップを背負っていました。
彼はダビデが息子アブシャロムに追われて逃亡する時に、ダビデの側について共に行こうと準備していたのですが、自分の力では行く事が出来ず、その上、彼の部下は欺き、彼の悪い報告をダビデにしたのです。
ダビデが王として帰還した時、迎えに来たメフィボシェテに対して「なぜ私といっしょに来なかったのか。」と問われ、その答えを正直に言いましたがダビデにはわかってもらえませんでした。
しかし、メフィボシェテは自分が理解されなくても、その為に得る利益を失っても、「王さまが無事に王宮に帰られて後なら、彼が全部でも取ってよいのです。」と言って、どんな持ち物を得る事や、自分が理解されること以上に、ダビデを愛している事を示したのです。
その時は誰からも理解されなくても私達はメフィボシェテの正直さを知っています。なぜなら聖書がその事を証明しているからです。つまり神様だけは私達の真実さをいつも見て下さっているお方であり、正しい評価をして下さるお方です。
ベタニヤのマリヤが香油を割り、主イエスに注いだ時、主イエスの弟子たちはその行為を理解する事なくむしろ彼女をしかりつけ、強烈な批判をしました。
しかしイエス様は「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」(マタイによる福音書26章23節)と彼女の信仰の行いを高く評価しました。
私達は人に理解される以上に主に理解され、人が願う事以上に主が願われる事を実行する者と共になりましょう。
一時的には誤解され、理解されない事があったとしても主の御前に真実を尽くして行った事を必ず主は高く評価して下さいます。
■A:考えてみよう
今日、私の全てを主が理解して下さっている事を覚え、それぞれの教会や家庭、遣わされた場所で、人の見ていない場所でも忠実に主に仕え、良い心で働きをしましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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