■S:今日の聖書の言葉

ヘブル人への手紙5章13, 14節(哀歌5章)

★まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、 義の教えに通じてはいません。 幼子なのです。
しかし、 堅い食物はおとなの物であって、 経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。

■O:今日のコラム
今、私たちの教会ではちょっとしたベビーブームで、たくさんのかわいいベビーたちが毎週の礼拝に集っています。その姿は本当に愛くるしく、何をしても顔がにやけてしまいます。しかし、彼らもやがては成長して一人前の大人になる日が来ます。どのような力強い世代になるかと考えると、楽しみでなりません。

同じように、私たち、イエス様を信じる者も霊的な成長、信仰の成長が必要です。もし、10年前、20年前と同じ聖書の読み方をしているのであれば、それは少し考えたほうがいいかもしれません。主の恵みは日ごとに新しいのです。御霊によって聖書を読むなら、同じ箇所からも様々な啓示を主から与えられ、より深く聖書を読むことができるでしょう。ヘブル人への手紙の著者も、みことばをそのように読むことをすすめています。

赤ちゃんもやがては乳離れし、離乳食から普通の食事へと移行していくのが成長です。同じように、みことばに関して深い心理を求めないで聖書を読むなら、聖書が教える「義」の教えについてよく知らない、経験不足の状態で聖書を読むことになります。別のことばでは未熟と言います。ここで言う義とは、「意図、思考、行為の各面で神のみこころに合致すること」を言います。神様の「義」に合致する聖書の読み方が必要です。私たちは大人として聖書を読んでいく必要があります。

では、なぜそのような聖書の読み方をしなければならないのでしょうか。自分の満足のためでしょうか。それもあるかもしれませんが、私はもっと高い次元の召しを受け取っています。それは、教会が置かれている地域を主のために勝ち取るためです。

「ダビデは、 目を上げたとき、 【主】の使いが、 抜き身の剣を手に持ち、 それをエルサレムの上に差し伸べて、 地と天の間に立っているのを見た。 ダビデと長老たちは、 荒布で身をおおい、 ひれ伏した。」(第一歴代誌21章16節)

ダビデがサタンの誘いに負けて人口調査の罪を犯した時、主は街を滅ぼすために三つのチョイスをダビデに与えました。そして、オルナンの打ち場に来た時に目を上げると抜き身の剣を持った御使を見たのでした。この、見ることがとても重要です。

私たちの戦いは血肉に対するものではありません。 主権、 力、 この暗やみの世界の支配者たち、 また、 天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ6章12節)みことばにはっきりと戦いの的が書かれています。であれば、もし、私たちがこの戦いの的をはっきりと見ていないのであれば、その戦いは敵の急所を射抜くことができないでしょう。

街に対して働く良い霊と悪い霊を、はっきりと見分けることが出来ないのであれば、街を勝ち取ることは難しいでしょう。しかし、敵がはっきりと見えたなら勝負はすでについています。その敵に向かってイエス様のお名前によって命じればいいのです。私たちには十字架で勝利された万軍の主、イエス様が共にいて下さいます。

■A:考えてみよう

霊的な見分けを求めていこう。終わりの時代、これからますます困難な時代に入るでしょう。何が困難な時代かというと、教会にパン種の混ぜものが多く入ってきます。ハロウィンや様々なメディアを通して、教会が世の中に妥協し、思ってもみない方法で悪のまどわしに負けてしまうかもしれません。

教会は世の中のものとは区別された特別な所です。地の塩として腐敗を止め、世界の光として暗闇に光をもたらす存在なのです。そのためには、何が良くて何が悪いかをはっきりと見分ける、まるで聖所で仕えていた祭司のような機能が必要です。

それでは、なにによって見分けをつけるのでしょうか。それはみことばによってです。私たちの全ての基準はみことばにあります。良く「このようなものが見えます」と祈りの中で言って下さる人がいますが、私は必ず「そのみえたもののみことばの裏付けはどこにありますか?」と聞きます。
もし、みことばの範疇を超えたものであったなら、それは注意が必要です。みことばなしに見分けをするのは、まるで目をつぶって目の前に置かれているものが何であるかを当てるゲームのようなものです。目の前に置かれているものが何かをはっきり知るには、目を開ければいいだけです。そうするなら、いたって冷静にそのものを認識し、それに対する正しい対処もできます。

私たちも恵みの時代に生かされる祭司として、みことばから良いものと悪いものをはっきりと見分ける訓練をしていきましょう。その目的は私たちの置かれている教会の街を勝ち取ることです。天の御国がこの地に来るまで、みことばと祈りによって勝ち戦を戦い続けましょう。

■P:祈り

みことばを通して、私たちの霊的な目が開かれ、はっきりと見ることが出来ますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しゅん 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

一つのコメント


  1. 長沼知佐子 より:

    メノナイトブレザレン教会で一昨日洗礼を受けたばかりの、新米クリスチャンです。 20数年前にも、大学でキャンパスクルセイドのかたに声をかけていただき、英語と、西洋文化をよく知る機会になるかなと、勘違いし、キリスト教を勉強しようとしましたが、いろいろあり、この頃初めて、聖書を読み始めた者です。(^^)

    今回のお話は、私の長年の疑問を解いてくださいました。

    「教会のなかでは、料理をふるまったり、奏楽をしたりなど、何か目に見える奉仕をすることだけが、必要なのだろうか、 小さい子が、グズって困ってるときに、そっと手を出して差し上げるといったような、見えない奉仕では足りないのだろうか」などと思っていたら、教会の存在意義をこちらで知ることができました。 無理かもしれませんが、地域のかたの光となれるよう、みことばをできる限り実践できるようにするのが、クリスチャンだと、理解しました。

    私も、まわりで「…が、見えた」とか言うかたがいらっしゃいました。私は、よくわかりませんでした。

    しかし、すべてみことばの裏付けが必要であり、正しいことも悪もみことばが基準と知り、安心しました

    「思ってもみない方法で教会が悪の惑わしに負ける」というところも、私
    の教会の中でも少しあったような、なかったような、感じでしたので、私も少し理解できそうですし、怖いことだとも思いました。

    ここ3週間は、うちの子どもたちの行事や、自分の体調不良で、聖日礼拝を守れておりません(;o;)  全く正しいクリスチャンになれるかどうか、自信はないですが、なんとかやっていきます☆

    長々とすみませんでした。

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー