■S:今日の聖書の言葉
哀歌2章18〜19節

★彼らは主に向かって心の底から叫んだ。
シオンの娘の城壁よ。
昼も夜も、川のように涙を流せ。
ぼんやりしてはならない。
目を閉じてはならない。
夜の間、夜の見張りが立つころから、
立って大声で叫び、
あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。
主に向かって手を差し上げ、
あなたの幼子たちのために祈れ。
彼らは、あらゆる街頭で、
飢えのために弱り果てている。

■O:今日のコラム
哀歌は、エルサレムの荒廃を悲しむ歌です。エルサレムは乙女にたとえられています。なぜならエルサレムはキリストの花嫁の象徴だからです。聖書の最後には、新しいエルサレムが花嫁の様に整えられて降りてきます。
この荒れすさんだエルサレムの中にまだ城壁が残されていることがこの節を見ると分かります。城壁とはやはりキリストの花嫁としてのアイデンティティーを悟っている者の事です。雅歌は花嫁の成長を描いています。そしてそれは全8章の書物です。その8章、つまり完成の領域にこの様にあります。

『もし、彼女が城壁だったら、
その上に銀の胸壁を建てよう。
彼女が戸であったら、
杉の板で囲もう。
私は城壁、私の乳房はやぐらのよう。
それで、私はあの方の目には
平安をもたらす者のようになりました。』
(雅歌8:9〜10)

その者は、昼も夜も絶えず祈りを捧げ、涙を流します。夜には大声を上げ叫び、心を主に注ぎ出します。そして、花嫁の回復のためにとりなす者となります。
花嫁の心が与えられ、主の臨在をしたい求めて、涙を流して祈る1人の者を主は選び、召してから、全体の回復が与えられていくのです。
同じ様な状況に置かれている者が歌った詩篇が42篇です。あまりにも似ています。

『鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、
神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
私のたましいは、神を、生ける神を求めて
渇いています。
いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。
私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。
人が一日中
「おまえの神はどこにいるのか」と私に言う間。
私はあの事などを思い起こし、
私の前で心を注ぎ出しています。
私があの群れといっしょに行き巡り、
喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群集とともに
神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。』(詩篇42:1〜4)

あなたの周りにその様な者がいないでしょうか?いないならばあなたがそのの召しを受けているのかもしれません。誰か1人でいいのです。その1人の祈りから花嫁の回復は始まっていくのです。
ネヘミヤ記もエルサレムの城壁の回復を描いた書簡です。つまりキリストの花嫁の回復が啓示されているのです。そのスタートは、ただ1人の涙を流して、とりなし祈る者である、ネヘミヤから始まっていきました。

■A:考えてみよう
いつもその1人の者であり続ける

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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