■S:今日の聖書の言葉
ダニエル書6章10節(ダニエル書5章)
★ダニエルは、その文章の署名がされたことを知って自分の家に帰った。ー彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。ー彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。
■O:今日のコラム
この時のダニエルの状況を現代に置き換えてみると、政治家の中でもトップだった彼はニュースを見て、いつの間にか法律が書き換えられてたことを知ります。それも、その法律は、彼のこれからを左右するかもしれない、もしくは、その法律によって、自分の命さえもなくなるかもしれないという法律です。
彼はこの法律を聞いたとき、なぜ、こんな愚かな法律ができたのかと思ったでしょう。全然、論理的でもない、無意味な法律だと。彼は、知っていたでしょう。彼に敵対する政治家達がこの法律を王様に押し付けたことだろうと。そして、その法律に署名した王様に関しても、なんて愚かな決定を下してしまったのだろうかと思ったかもしれません。
ただ、今のはすべて私の仮定なので、もしかしたら、ダニエルは一切そんなことを考えていなかったかもしれません。
実際、彼がそう考えたとしても、彼のとった行動とその姿は、すごく立派なものでした。
彼は、そのニュースを見て聞いたあと、すぐに王様のところに行って、「この法律は不公平すぎる。愚かだ。書き換えるか下げるべきだ」と言うこともなく、彼は、家に帰り、主の前にひざまずき「感謝」したと、今日の箇所には書かれています。
ダニエルと王様は、ものすごくよい関係にありました。だから、彼には、王様のところに行って、この法律に関して不満を言い、書き換えることができる権利があったと私は考えます。しかし、彼はそれをすることもなく、ただ、主の前にへりくだり、主に感謝を捧げました。
そして、たぶん、彼にとっては、案の定だったでしょう。法律を犯したので、捕まえられることになりました。しかし、ここを読むとダニエルが抵抗している記述が一切ありません。王に訴えるチャンスは大いにありました。彼が獅子の穴に投げ込まれる前、王様はダニエルに
「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」
(16節)と声をかけます。その時に、ダニエルは、王様に自分の訴えを叫ぶことができたと思います。しかし、彼はそれもせずに、だまって、そのまま、獅子の穴に投げ込まれました。
ダニエルがこの章で初めて声を発するのは、獅子の穴に投げ込まれた翌日。王様がダニエルが生きているかを確認しに声をかけた時です。その時に、初めてダニエルは口を開き、自分の訴えを王様に語ります。
「王よ。私はあなたにも、悪いことをしていません。」
と。(22節)
ここまで大げさでなくても、私たちの日常でも、このような経験をすることがないでしょうか?学校や職場、または日々の生活の中で、自分には不利な方針や決まり事ができてしまったとき、私たちの最初の反応はもしかすると不満だらけかもしれません。それに反抗したい。自分の正しいことを示したいと思うかもしれません。
しかし、今日、ダニエルのこの姿勢を学び、私たちもまず、主の前にへりくだり、主に感謝し、この件に対して、主を信頼し、主の介入を待ち望んでみませんか?そうすることによって、主の働かれる大いなる奇跡を体験することができると信じます。ダニエルが、獅子の口から守られたように。
■A:考えてみよう
これは、私も学んでいます。突然、方針が変わったり、いつの間にか何かが決まり、それを後で知り、私の心の中は不満だらけになることが多々あります。しかし、ダニエルの姿から学び、まずは、主の前に行き、主に心を注ぎます。そして、そのうち、感謝することができるように、聖霊様が導いてくださることを経験しています。私ももっと主の介入を見たいので、もっとダニエルのように、主の前にへりくだり、主に感謝し、主を完全に信頼する者になりたいです。
「ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。」(23節)
私たちが主に完全に信頼するとき、どんな傷を受けたとしても、その傷は完全に癒され、傷を認める事もできないくらい完全な者になることを私は信じます。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
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