■S:今日の聖書の言葉
箴言27章8節(1テモテ3)

★自分の家を離れてさまよう人は、自分の巣を離れてさまよう鳥のようだ。

■O:今日のコラム
教会に属し、そこにとどまることはとても大切なことです。

神の教会という奥義は深くて、ここで端から端まで述べることは出来ませんが、教会は神の体であることを私たちは知っています。「 教会はキリストのからだであり…」(エペソ1:23)

そして、私たちはキリストを頭とした神の御体である教会に属する各器官です。(第1コリント12:27)

各器官は体に属してこそ、その器官としての役割を担って行くことが出来ます。
体が時には病気になったり、時には疲れ果ててしまう時があるように、
教会も、体調を崩しているような状態、なかなか元気に前へ進めていないように弱々しく感じる時もあるでしょう。

そんな時でも、神の体から抜け出すのではなく、自分の教会を愛し、支え、仕えて行きましょう。

これは私こそが自分に言い聞かせなければならないことですが、「教会のここが変わればいいのに」「教会のあの人が変わればいいのに」そう思う時に、1番変わらなければならないのは自分自身なのです。

主に、教会の弱さを見せられているでしょうか。人の弱さを見せられているでしょうか。
それは、「お前なら、このことを私の心と合わせてとりなしてくれるだろう。」と、主が私たちを信頼して託して下さっている破れ口かも知れません。
主は、私たちに教会の弱さを見せる時があります。それは、裁くためではなく、とりなして欲しくて、見せられるのです。

「というのは、執事の務めをりっぱに果たした人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について強い確信を持つことができるからです。」(第1テモテ3:13)

教会最初の“執事”は、使徒6章に出てくる、12使徒たちから任命された7人でした。そこからも分かるように、執事とは、教会の中で人々に仕える者でした。
この箇所を読むと、神の御体である教会に仕えた者への報酬がどのようなものであるかが分かります。

『良い地歩を占め』とは単なる地位のことを言っているだけではないような気がします。良きものを所有し治めるようになるであろう、ということも含まれているのではないでしょうか。
また、イエスを信じる信仰について、強い確信が与えられる、とあります。
なんという大きな報酬でしょうか!
教会を愛し、教会に仕える日々の中で、私たちの信仰が強められ、強い確信を持つことが出来ると約束されています。

神様が私たちを植えて下さった御体の中で、体が弱い時でも、未熟な時でも、愛し仕えて行く時に、主が私たちが人生の中で、特に信仰生活の中において、「良い地歩を占める」つまり多くの豊かな実りを実らせることが出来るようにして下さると信じます!

■A:考えてみよう
自分は、自分の教会を愛しているだろうか。
教会や教会の中の人の弱さを嘆いているだろうか。それとも、とりなしているだろうか。
自分はどのようにして、教会に仕えているだろうか。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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