■S:今日の聖書の言葉
ルカ19章3.4
★彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
■O:今日のコラム
今日の箇所は、ザアカイがイエス様を見ようといちじく桑の木に登るという有名な話です。
ザアカイはエリコの取税人のかしらで、金持ちだった(19:2)とあります。
当時のエリコは大都市であり、交通のターミナル都市で、税関所があったと言われるエリコの町は、取税人が稼ぐには好都合の場所でした。
そんな大都市で、多くの取税人たちを雇っているかしら、きっと今でいう大都市の社長のような者ですから、当時は相当顔の知れた人であったのではないかと思います。
そのような金持ちの取税人のかしらが、いちじく桑の木に登るという行為は、当時からすると、面目を失うようなことでした。
何故なら、当時いちじく桑の木に登っていたのは、最も貧しい生活をしていた羊飼いたちであったからです。
取税人たちも、ユダヤ人たちからは異邦人のために同胞から税を取るということで罪人と扱われ忌み嫌われていましたが、社会的な地位としては、裕福で金持ちでした。
それとは反対に、羊飼いたちは社会の最下層に属し、社会でも忌み嫌われる存在、貧しい生活を送る人たちでした。
そして、当時そんな羊飼いたちが乾季のときの羊の食料を得るために、いちじく桑の木に登って木の世話をしていたそうです。
裕福な取税人のかしらであるザアカイが、面目を失う行為をしてまでも、最も貧しい羊飼いたちが登っていたいちじく桑の木にイエス様を見ようとして登ったのです。
ザアカイは面目を失ってでも、プライドや誇りを捨ててまでも、イエス様をみたいと探し求める熱心な思いがあったのだと思います。
3節にある「彼は、イエスがどんな方か見ようとした」の”見ようとした”を原語で見ると、「ゼーテオー」という「探し求める、懸命に試みる」という意味の動詞の未完了形と「エイドン」という「見る」という意味の動詞の不定詞で書かれています。
つまり、ザアカイがイエスがどんな方か見ようとしたとは、「イエス様がどんな方か見ようと懸命に探し求め続けた、イエス様を見ようとし続けた」という意味があるのです。
ザアカイは単に少し興味があるから、見てみようと思った訳ではなく、懸命に主を見ようとし続けたのです。熱心に主を見ること探し求めたのです。
「わたしを熱心に探す者は、わたしを見つける」と箴言8:17にあるように、自分の面目を捨ててまでもイエス様を熱心に見ようと探し求めたザアカイは、イエス様を見つけ、そしてイエス様に見出されました。
そして、ザアカイはイエス様と出会い、自分の大事にしていた富を手放し、イエス様を公に主と告白し、実際的な悔い改め(思いを変えること)へと導かれ、イエス様は救いが訪れたと宣言しました。
■A:考えてみよう
既にイエス様を主と告白し、救いを得ている私たちにとっても、日々主と出会うことが必要です。
主を探し求めて、主と出会うときに、私たちも自分の握っていたものを手放すことができ、悔い改めの思いに導かれ、私たちの思いが主の思いへと変えられていくからです。
私たちこそ、ザアカイが持っていた熱心な思いを持って、自分のプライドや評価、立場を捨てて、主を見たいと懸命に主を見続けること、懸命に主を探し求め続けることが必要です。
熱心に主を探し求めるなら、主を見つけ、主と出会うからです。
そして、主を見るならば、主の似姿へと変えられていくからです。
そして、私たちが主を見るならば、まだ救われていない、主を知らない人たちが、私たちを見て、私たちのうちにおられるイエス様を見たいと、ザアカイのようにイエス様を見ようと探し求め、イエス様と出会うようになっていくことを、切に願い求め、信じます。
すべてを捨てて、いつもどんな時も熱心に主を見続け、懸命に主を探し求め続け、日々主と出会い、主を見る者となることを願い求めます。
■P:祈り
イエス様、今日も、日々あなたと出会い、いつもどんな時もあなたを見続けることができるように、すべてを捨て、主を懸命に探し求め続けることができるように、助け導いてください。
そして、私があなたを見続けることで、私の周りのまだイエス様に出会ってない人たちが、私のうちにおられるイエス様を見たいとあなたを探し求め、あなたと出会うことがでこますように。
熱心に主を見ようと探し求め、いイエス様を見つけ、イエス様と出会ったというザアカイに起こった事が、またザアカイの主を見たいという飢え渇き、主を探し求める心が、私のうちに、そして私の周りの人たちのうちに起こさせることを信じ、宣言して、私の主であるイエス様の御名でお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
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