■S:今日の聖書の言葉
ルカ2章36〜37節
★また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。
■O:今日のコラム
以前、祈りのセミナーでパクホジョン先生が、信仰生活において始めも大切、また中間も大切です。しかしもっとも大切なのは「最後」であると語っておられました。
マラソン競技においても、どのようにスタートするか、また、どのように継続して走るかは重要です。しかし、一番重要なのはどのようにフィニッシュするか、ということです。どんなに良いスタートをきったとしても、上手く継続して走って来れたとしても、最終的にゴール出来なかったら、私たちは何の栄冠も得ることも出来ません。
たとえ挫折してしまいそうになっても、途中で転んでしまったとしても、また立ち上がって前に向かって走り続ける、、、このようにして私たちの前におかれている競争を最後まで走り抜くなら、神様から「良くやった、私の忠実なしもべよ」という言葉をいただけるのです。他のことは重要ではありません。人生で何を達成出来たか、何を得ることが出来たか、何を持っていたかではなく、レースをどのように終えたかが最終的に重要なのです。
やがて天に上げられる時に「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」と胸を張って言える者になりたいと願います。
今日の箇所に登場するシメオンと女預言者アンナの生き様は、主が再びこの地に戻って来られようとしている今の時代にあって、私たちがどのように生きていくか、どのように最後まで走り抜くか、を示してくれるとても重要なモデルです。
シメオンは、聖霊様から「主のキリストを見るまでは、決して死なない」と聞いて、老年になるまで救い主の誕生を待ち望み続けました。預言者アンナは若い時に結婚して7年の後に夫を亡くし、それから84歳になるまで断食と祈りを持って昼も夜も祈りに専念する生活を続けていました。そのようにしていく中で、ついに救い主の誕生をその目で見る時が訪れました。
この2人に共通していることは「忠実さ」です。シメオンとアンナのように、神様から言われたことを忠実に最後まで行い続ける時に、来たるべき主の訪れをその目で見るのです。
断食や祈り、共に集まる礼拝、伝道やあらゆる良い行いはいったい何のためだろう…いつまで続くのだろう…何か変化はあるのだろうか…と、時に私たちはその意味を見出せなくなることがあるかもしれません。
しかし、このシメオンとアンナのように、目を覚まして祈り続けること、最後まで主から語られたことを忠実に行い続けること、主をひたすら待ち望むこと。それを続けていく時に、主はこのような忍耐と信仰が地上にあるのを見て、再び戻って来られるのです。
「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」(伝道者の書11:1)
主が来られるまでこれを行いなさい、と言われたことを最後まで行い続ける忠実さが与えられますように。
主が私たちに願っている、忠実さとはなんでしょう。それは、始めにあった情熱がなくなったとしても、主から言われたことを最後までやり遂げること。情熱を感じない時にも、なおも、始めに決心したことを継続して行い続けること。です。
主がやりなさいと召してくださった場所、働きにおいて、あきらめないで主から言われたことを喜んでやり続ける忠実さが与えられるようにと祈ります。
シメオンとアンナのようにあきらめないで最後まで見張り所に立ち続けるなら、来たるべき時に、主は、私たちの家族に、教会に、学校に、職場に、街に、日本に、全世界に、ご自身の栄光を現してくださると信じます。
「この幻は、なお、定めの時のためである。それは終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。」(ハバクク2章3節)
主は私たちの歩み全てをみておられ、人知れず流した涙も忍耐も忠実な行いも知っておられます。主の名前の一つに、エル•ロイという名があります。これは、「ご覧になるお方」「神様は生きておられ、全てを見ておられる」という意味です。
神様は私たちの従順と忠実さを見てくださっています。主はそのことを大きく評価してくださいます。主が見て下さるなら幸せ、主が「よくやった」と評価してくれるならそれで満足、そのような父を慕う幼子の心が与えられますように。
信仰の創始者であり完成者なるお方を見上げて最後まで走り抜こうではありませんか。
「…死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」(ヨハネの黙示録2章10節)
「わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。」(ヨハネの黙示録3章11節)
■A:考えてみよう
昼も夜も祈ること、断食して主を待ち望むことは、人の目には小さいことのように思うかもしれません。しかし、主の前に祈りが満ちる時に、この地は主の栄光を知ることで満たされるのです。
「まことに、水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる。」(ハバクク書2章14 節)
主の定めの時は必ずやってきます。共に見張所に立ち続けましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひさえ 】
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