■S:今日の聖書の言葉

マタイによる福音書28章17節 (詩篇150篇)

★ そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。

■O:今日のコラム

イエス様が十字架の死を破って、復活され、弟子たちに会うためにガリラヤに行かれました。

イエス様は十字架にかかる前から、ご自分が復活されると話しておられました。(マタイの福音書26章32節)

28章9節ではイエス様は、遺体に香油を塗ろうと来ていた女性たち(マグダラのマリアなど)と出会われました。

イエス様が復活されたことを知り、嬉しさのあまり 「彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。」 ほどでした。彼女たちは、主の御業を素直に信じたのでした。

同様に、ユダヤ教指導者たちもイエス様が復活されると話していたのを忘れてはいませんでした。そのため、ピラトに頼んで墓の前に番人をおいたのでした。(マタイの福音書27章62-66節)

また、番兵たちがイエス様が復活されたことを話すと、それをあしらうどころか、それを真実ととらえ、番兵たちにお金を払って「弟子たちが盗んでいった」というウソをつかせました。そうです、祭司長やパリサイ人たちはイエス様の復活を信じて恐れたのです。

その中で、驚くことに、よみがえられたイエス様を目の前にして、まわりの者が礼拝しているにも関わらず、『疑う者』が居合わせたことが、今日の箇所17節に書かれています。

『疑い』は、目立つものではなく、時に、自分ですら気づかないうちに、心の内側に巣くうものです。主が御業を解き放たれることの妨げとなります。

ここに出てくる、疑ってしまった『ある者』たちは、せっかくイエス様が直接出会って下さっているという、最高の時のはずなのに、主を礼拝する者たちを遠巻きにながめていたのでしょうか。「なんてもったいない!」と怒りたくなりますが、自分の中にも不信仰という弱さがあることを思います。

これから、主がたくさんの御業をあらわして下さるでしょう。信じられないようなことも、たくさん起こるでしょう。そんな中で私たちはどうしたら、疑う心を捨てることが出来るでしょうか。

見ず知らずの人から、「これは美味しいですよ。どうぞ食べて下さい。」 と言われても、それはなかなか受け入れがたいですが、自分の親しい家族や友人が「これ本当に美味しいよ。」と言うと、なんの疑いもなく食べたいという気持ちになります。

そうです、主と親しい関係を保つことが、私たちを疑う心から離す秘訣です。主といつも親しい交わりを持ち続けていくならば、「自分と親しい主」のなされる御業、「自分と親しい主」の語られる言葉に対して、疑うことがなくなるでしょう。

自分の不信仰を嘆く前に、主と過ごす時間を増やし、ますます主を慕い求めていってみましょう。イエス様は私たちにも語りかけておられます、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」 (ヨハネによる福音書20章27節)

イエス様の復活を一瞬も疑わず、イエス様の御足に飛びついた女性たちのような信仰を持ち続けたいですね。

■A:考えてみよう

自分の中に何か、信じきれていない部分があるだろうか。
今日の箇所に 『ある者は疑った』 と出てきたように、何かを疑っているだろうか?

イエス様は愛溢れるお方です。ひきつけをおこす息子のことで、イエス様に助けを求めた父親 (マルコによる福音書9章21-24節) も、最初にイエス様を信じきれていなかったけれど、「信じます。不信仰な私をお助け下さい。」と求めたとき、イエス様はそれに応えて下さいました。

私たちも、いつでもこの父親のように 「信じます。不信仰な私をお助け下さい。」 と主に求めることが出来き、また主が愛をもってそれに応えて下さることを感謝します。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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