■S:今日の聖書の言葉
歴代誌 第二 20章21節、22節(歴代誌 第二 19章)

★それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。

■O:今日のコラム
ここは、私にとって『賛美が、また、主にほめ歌を歌うことの力が、どれほど大きなことであるか』ということを、知ることの出来る、最も興奮するべき箇所の1つであります。

戦いの最前線に、屈強の戦士を行かせたのではなく、選ばれた賛美者たちが進み、主にある大勝利をおさめた、というとても有名なところです。

礼拝者が礼拝する所の天の窓は開かれ、天の軍勢はその『開かれた天』から、この地に送られて来ます。

天の軍勢が戦いに送りこまれ、霊的戦いの勝利がもたらされます。
そして、その霊的領域での勝利が、後に、この地上で目に見える形となって現れます。

賛美と礼拝は、霊的戦いの勝利の鍵です。

礼拝者が礼拝するところは、イコール、地上において圧倒的勝利がもたらされる場所であります。

17節で「この戦いはあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。」と主からの激励の言葉があったのち、19節「ケハテ族、コラ族のレビ人たちが立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した。」とあるように、彼らは「大声を張り上げて主を賛美しました。

また、22節でも「彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき」とあります。
彼らの賛美は、力の限りであります。「大声を上げる」とは何百メートルも先にいる人にでも届くほどの声です。
果たして私たちの賛美はどうでしょうか?
もちろん教会によっても賛美のスタイルは違いますし、大声を出すのは、不適切な礼拝もあるかも知れません。大声を出せばいいってものでもないかも知れません。
しかしながら私たちの賛美は、このように力の限り捧げる賛美でしょうか?心を尽くし、知性を尽くし、力を尽くして主を愛する賛美でしょうか?

主は昨日も今日も、とこしえに変わらないお方です。
その偉大さと麗しさ、私たちの「力の限り捧げる賛美」に値する主のご性質はとこしえに変わりません。

それが例え何千回と歌ったことのある歌であったとしても、毎週のように歌われている賛美であったとしても、とこしえに変わらない主の偉大さを、力の限りたたえましょう。
日ごとに新しい主の恵みを感謝し、ほめたたえましょう。

出し惜しみはやめましょう。適当に捧げるのをやめましょう。
主に対しての正しい恐れを持ち、真心からの賛美を、力の限りの賛美をいつも捧げましょう。

賛美は、敵に対しての最大の攻撃であり、私たちには主にある喜びを与えます。いいことづくしです!

私たちの賛美が、いつも、この章に出てくる「賛美をする者」たちのように力の限り捧げられる賛美でありますように。

「それから、ユダとエルサレムの人々はひとり残らず、ヨシャパテを先頭にして、喜びのうちにエルサレムに凱旋した。主が彼らに、その敵のことについて喜びを与えられたからである。」

(第2歴代誌20:27)

■A:考えてみよう
自分の賛美は力の限りだろうか?
真心だろうか?

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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一つのコメント


  1. 鷺谷義和 より:

    ハレルヤ!!!

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