■S:今日の聖書の言葉

サムエル記 第二 3章1節(同4章)

★ サウルの家とダビデの家との間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった。

■O:今日のコラム

昨年の祈祷会で聞いたメッセージの中で、「私たちは王である前に祭司である」という言葉がとても印象に残りました。

ペテロの手紙 第一 2章9節 には、私たちは王である祭司、と書いてあります。

王である、とはどういうことでしょうか。それは、神様の国の王として、自分が置かれている職場や、家庭、学校、教会ミニストリーの中で、神様から与えられた権威を用い、祈りや信仰の宣言によって、また愛の行いによって、神の国の文化をもたらして行くということだと思います。

この世の文化(比較、ねたみ、不一致、批判、恐れ、悩みや病気…etc.)のあるところに、 神の国の文化 (神への愛、思いやりや親切、喜び、平安、一致、問題解決、健康…etc.)をもたらしていく、という素晴らしい働きであり、使命です。

同時に私たちは祭司です。

祭司にもいろいろな務めがあります。でも、その中でも特に素晴らしい務めは、神様と出会えるという特権です。

イエス様の十字架の血潮を受けて、感謝の心をもって、神様の前に出る。神様の前に香の香り(祈り、手をあげること…(ヨハネの黙示録5章8節、詩篇141篇2節))が立ち上るようにし、神様に感謝と賛美の歌をささげる、喜ばしい心を捧げる。自分自身を神様にささげる。そして、神様の声に耳を傾ける。

神様と親しく交わるというこの特権は、イエス様を心から信じる人、神の子となったすべての人に与えられているのです! ハレルヤ!

サウルも王、ダビデも王でした。この二人からは本当に多くのことを学べます。

でも、ダビデが神様に愛された一番の理由は、彼が王になってからも、神様との関係を一番大切にしたということではないでしょうか。

ダビデは王であると同時に祭司でした。そして、王である前に、祭司だったのです。

今日、私たちも、会社員、学生、看護師、経営者、公務員、主婦、アーティスト… という王の服を脱いで、神様に愛されている子供として、神様を愛する心で、主の前に安らぎ、主の御声に耳を傾けましょう。

■A:考えてみよう

置かれている場所から来る、いろんな責任、課題、自分の中にある良いアイディアでさえ、いったん、わきに置いて、神様を心の王座に迎えよう。

置くことができないほどの大きな悩みやプレッシャーがあるなら、神様の前に正直にそれを注ぎだして、助けを求めよう。

■P:祈り

天のお父様、私の置かれている場所に、あなたの御国が来ますように。
そのために、私を王として、また何よりも祭司として用いてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ともこ 】

カテゴリー: マナメール

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