■S:今日の聖書の言葉
2コリント8:11-12

★ですから、今、それをし遂げなさい。喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それをし遂げることができるはずです。もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです。

■O:今日のコラム
この箇所はパウロが献金についての意見を語っている箇所です。
献金は神様にささげるなので、献金だけでなく、私たちが神様に何かを捧げるとき、また神様のために何かをするとき、神様のために何か人に与えるときにも、適用できるものであると思います。
私たちが神様に何か捧げるとき、神様のために何かをするとき、この箇所から分かる3つのポイントがあります。

① 神様は心を見ておられる。

喜んでしようと思ったならば、それをし遂げることができ、熱意があるならば、神様に受け入れられる(受納される)とあるように、神様が重要視しているのは、何を捧げたか、何をしたか、どれくらいのお金かではなく、私たちの心、熱意です。
そして、その熱意があるならば、喜んでする心があるならば、それを成し遂げることができ、神様に受け入れられるものとなるのです。

「神様は喜んで与える人を愛してくださいます。(Ⅱコリント9:7)」とは、神様は私たちに喜んでしてほしいと思っておられ、私たちが喜んでしている姿が大好きなのです。

「~しなければならない」という強いられてする思いは、キリストにある自由を持つ神の子どもたちが持つ思いではありません。

「わが子ソロモンよ。今はあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。(Ⅰ歴代誌28:9a)」

「喜ばなきゃ!」「熱意を持たなきゃ!」「神様に喜ばれる心を持たないと!」と、時に私たちは、頑張って喜ぼう、頑張って熱心になろう、頑張って主に喜ばれようとしてしまうことがあるかもしれません。
私はそう思ってしまっていたことに気付かされ、それは計り知れないほど超絶に愛されている私たち神の子が持つ考えではないことを教えられました。

喜び、喜んでする心、また熱心さは、頑張って持つものではなく、私たちの神様がどんなに素晴らしい方で、どんなに私たちのことをそのままで愛しておられるかを知るならば、神様の愛を経験し、神様を知るならば、自然と喜び、喜んでする心が湧き出てしまうものなのだと思います。

神様を喜ばせるには、何かをするのではなく(何かしなくても神様はもう既に私たちのことを喜んで愛しておられるので)、私たちが喜ぶことです。

献金や何かの奉仕をすること、任されている仕事・働きをすること、神様に従うこと…何をすることにおいても、私たちは全てを神さまのためにしています。

ですから、何をするにも、喜びを持つことができるように、神様を知ることを求めます。

② 何かをしたい思い・心があるならば、それを成し遂げる「モノ」が既に与えられている。

私たちは「神様のために何かしたい、何か捧げたいけど、私には~がない、私には~が足りない」と、私たちの目や人の目で見て、足りないものを見てしまう古い性質があるかもしれません。
私もよく、「自分には~が足りない」と思ってしまうことがあります。

しかし、喜んでしようと思ったのなら、熱意があるならば、もう既にそれを成し遂げるに十分なもの、神様が受け入れてくださるのに十分なものが与えられていることを覚えたいと思います。

神様は心を見ておられる方なので、献金の金額、能力の大きさ、結果の大きさなどで、評価が変わる方ではありません。

私たちが思う、大きさや小ささは関係なく、たとえ私たちには少ない、少ししかないと思っても、心から私たちの持てるすべてを捧げるならば神様にとっては十分なのです。

なので、私たちは
③ 持っているものを捧げればいい。自分にできることをすればいい。

ナルドの油の入った石膏のつぼを割って、すべてを捧げたベタニヤのマリヤの行動をイエス様はこのように言って評価しています。

「この女は、自分にできることをしたのです(マルコ14:8a)」

マリヤは自分にできることをしたのです。自分の持っているものを捧げ、それを使って、私たちのために十字架に架かろうとしているイエス様のために、埋葬の準備をしました。

神様は持っていないものを、捧げなさいと言われる方ではありません。

私たちが神様のために何かしたいという思いがあるならば、私たちの持っている物で、それをし遂げることができるはずなのです。

そして、私たち一人一人に、必ず神様のために何か自分にできることがあること、神様のために捧げられる自分の持っているモノがあることを感謝します。

■A:考えてみよう
① 神様のためにしている全てのことに関して、「~しなくては」という思いを捨て、心から喜んでする心を求める。また、頑張って喜ぼうとする思い、頑張って喜ばれようとする思いを捨てる。そのために、神様を知ること、神様の愛、喜びを知ることをひたすら求める。

② 足りないものを見てしまう目・思いをなくし、主の目で物事を見ることを求める。もう既に神様のために何かをして、神様が受け入れてくれるのに十分なモノが与えられていることを認め、感謝する。

③ 自分にできることがあること、捧げらるモノがあることに感謝する。そしてそれをすべて捧げる

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ありさ 】

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一つのコメント


  1. 喜びと感謝 より:

    SHOP の皆様、おはようございます!
    今日のメッセージは、まさに私のぶどうの木の枝を、ザク、ザク刈り込まれた
    ようなインパクトの強い、メッセージですね! まるで、私の心の中、信仰の
    薄っぺらさ を見透かされてしまったような、強烈なメッセージですね。

    「どんなに私たちのことをそのままで愛しておられるかを知るならば、神様の愛を経験し、神様を知るならば、自然と喜び、喜んでする心が湧き出てしまうものなのだと思います。」 う~~ん! まだ、神様の愛を知り足りないということ
    ですか。   
    「喜び、喜んでする心、また熱心さは、頑張って持つものではなく、 」 う~~ん。 確かにがんばって喜ぼうとしているのかもしれませんね。喜んでないのが自分で分かっているから、 「喜びと感謝」 と名乗っているのですから....

    骨太のメッセージ、心から感謝です!

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