■S:今日の聖書の言葉
エゼキエル書 41:18-20
★ すなわちケルビムと、しゅろとが彫刻してあった。ケルブとケルブとの間に、しゅろがあり、おのおののケルブには、二つの顔があり、 こなたには、しゅろに向かって、人の顔があり、かなたには、しゅろに向かって、若じしの顔があり、宮の周囲は、すべてこのように彫刻してあった。 床から戸の上まで、ケルビムと、しゅろとが、壁に彫刻してあった。
コリント人への第二の手紙 7:1
★愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。
■O:今日のコラム
しゃろーむ!6月23日の朝です。今日1日も、主のきよさを求めていきましょう。主は、日々僕らを見守り、共に過ごすことを楽しみにしてくださっているからです。
主が、エゼキエルさんに天の御国を見せています。その建物の壁には、しゅろとケルビムが彫刻されています。
しゅろ(ナツメヤシ)は、常緑の樹木です。常緑の樹木などは、常に緑の葉を繁らせています。しかし、葉が全く落ちないわけではありません。新しい葉が伸びるために、古い葉が順番で落ちています。4月下旬くらいから今の季節、木の周りに落ち葉を見ることがあります。それは、常緑の樹木の葉が生え変わっているからです。葉が樹木の下に落ちると、その葉は土にかえっていき、その土の栄養となり、その樹木は、さらに生長することができます。
僕らは、常に緑の葉を繁らせるしゅろの木のようです。常に生長していくことができます。しかし、そのためには、古い葉を落としていく必要があります。今までの葉を落とすことは、一見、枯れていくように思えてしまいます。落とす時に、痛みを覚えます。この痛みは無駄になることなく、生長の糧となります。
イエス様の十字架には全世界の罪を背負うためのすさまじい痛みが伴いました。この痛みをお受けになったイエス様が復活されたのです。だから新しい葉が伸びることができるのです。僕らが、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神様をおそれて全く清くなるためです。
王であり主の主なるイエス様、子羊であり獅子であるイエス様が、しゅろなる僕ら一人一人をいつも見守ってくださいます。片側からは人の顔、反対側からは若い獅子の顔で僕らを見てくださっています。十字架に架かるために人としてこの地に来てくださったイエス様、再び獅子として戻ってこられるイエス様が、時代を越えて僕らを見てくださっています。
『コリント人への第二の手紙 6:16-18 JA1955
神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう」。 だから、「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。 そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。』
このような約束を与えられているから、僕らは、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神様をおそれて全く清い者へと造り変えていただきましょう。
■A:考えてみよう
イエス様がエルサレムに入城される時、大勢の人の群れは、シュロの枝を取って出迎えに行きました。今、終わりの時代に生きる者として、イエス様が戻ってこられるのを出迎えに、自分自身の枝を取って捧げていきましょう。自分自身の捧げるべき枝を、主に示していただきましょう。
主が前後左右で見守り、共に居てくださることを感謝し、賛美していきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひろみち 】
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