■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第二 2章17節

★私たちは、 多くの人のように、 神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、 真心から、 また神によって、 神の御前でキリストにあって語るのです。

■O:今日のコラム
先日、ペヤングの焼きそばが再販されたというニュースが取り沙汰されていました。虫などの混入があったため販売を一時中断して、改善をし、再販できた所、売れすぎて在庫がなくなってしまったとのことです。
誰でも、自分の食べようとしているものに虫が入っていたら嫌ですよね。神様も同じような思いではないかと思います。神の言葉を話す時、そこに違うものが混ざっていたら、それは神様を悲しませてしまうことになってしまいます。なぜなら、神様は聖なるお方であって、その聖さには何ものも混ぜることが出来ないほど純粋な聖さのお方だからです。
ここに書かれている「混ぜ物をして売る」とは、当時、ぶどう酒を販売する商人が儲けたいがために、本来のぶどう酒に混ぜ物をしてかさを増やし、同じ値段でそのぶどう酒を売ることによって不正な利益を得るという意味があります。たとえ利益を得、人の関心を買うことができても、神の言葉に混ぜ物をすることはよくありません。
マタイの福音書23章24節にはこのように書かれています。

「目の見えぬ手引きども。 ぶよは、 こして除くが、 らくだは飲み込んでいます。」

これは当時、ぶどう酒を作る環境が今ほど整っていなかったので、ぶどう酒の製造過程でどうしてもブヨが混入してしまっていたそうです。ですから、ユダヤの人々はぶどう酒を出荷する前に、必ずブヨをこしてから、純粋なぶどう酒を販売していたそうです。そうしないと、ブヨによってぶどう酒が腐ってしまいます。
たった一匹のブヨであったとしても、イエス・キリストの血潮の中に紛れ込むなら、これを濾し取らなければ、それはパン種のように汚れをどんどん増やしてしまいます。それでは、私たちはどのようにしたらこのブヨをこしとることができるのでしょうか。それはみことばによってです。

「神のことばは生きていて、 力があり、 両刃の剣よりも鋭く、 たましいと霊、 関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、 心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」

(ヘブル人への手紙4章12節)
みことばはどんな小さなブヨをも見極め、それをきよめ分かちます。私たちはみことばを深く学び、私たちにおそいかかるブヨを取り除いていきましょう。

■A:考えてみよう
混ぜ物とは恐ろしいものです。それは一見、いかにも美味しそうに見え、魅力的に見えるかもしれません。また、限りなく本物に近いような形をとっています。旧約聖書の歴史書を見るなら、イスラエルの民に神の怒りが下るのは妥協によって聖なる神に土着の信仰が交じり合ってしまった時が多いのです。
それゆえに神様は律法や例祭などを通して、繰り返し聖められることを願われています。それは何かを加えるというよりかは、むしろ削っていくという方がふさわしいかもしれません。主からの刈り込みを通して一時的な痛みを通されるかもしれません。しかし、その先には良い実を結ばせたいという神様の愛の願いがあります。
主によって練られて、削られて、最後には十字架しか残らないという人生を歩みたいと願います。

(エゼキエル36章25-27)

「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、 あなたがたはすべての汚れからきよめられる。 わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、 あなたがたのうちに新しい霊を授ける。 わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、 あなたがたに肉の心を与える。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、 わたしのおきてに従って歩ませ、 わたしの定めを守り行わせる。」

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しゅん 】

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