■S:今日の聖書の言葉
1コリント10:13

★あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

■O:今日のコラム
私たちの会う試練は人の知らないものではないこと、耐えられないものではないことがこの箇所に書かれています。
試練は耐えられないものではないということは、試練は耐えられるものであり、耐える為にあるものであるということです。
そして、神様は耐えられない試練は与えないことも書かれています。
神様は耐えられる試練しか与えないのです。
そして、神様がその試練に会うことを良しとされるときは、「この人は必ずこの試練を耐え忍ぶことができる」と認めたときです。
自分にはもう耐えられない、乗り越えられないと思っても、神様は必ず耐えることを知っていて、耐え忍んだその後の状態、耐え忍んだ後の結果を見て、私たちが試練に会うのを良しとされています。
「脱出の道」という言葉は、この同じ言葉が使われているもう一つの箇所では「結果」と訳されて使われています。
試練に耐えて脱出の道=結果に行くとき、私たちには、いのちの冠が約束されています。この結果=脱出の道が備えられていることは、神様のみことばにある約束です。
「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」ヤコブ1:12
試練に会うとき、直面しなければならばいその試練や問題、自分の弱さだけでなく、その試練の後にある結果をも同時に見ることを覚えたいと思います。
試練の真っ只中でその結果を見れる人が、試練に会うときにこの上もない喜びと思うことができる人なのです。
私の身近にも、そのような素晴らしい方がいます。
「試練があると喜びでしょうがない、どんな状況でも、必ず神様のみことばの方が成就されるのが分かるから」と言っています。
私自身も、そう思いたいけれど感情がついていかないこと、またそんな風に喜べるのはレベルが高すぎると思ってしまうことがあります。
しかし、今日、今一度神のみことばに信仰を置きたいと思います。
自分の状況、感情ではなく、神様のみことばが一番正しいことを宣言し、耐えられない試練はないこと、神様はその人が耐えられる試練にしか会わせないので必ず耐えられること、必ずみことばの約束の結果があること、脱出の道は備えられているという約束を感謝します。

ここで使われている「試練」という言葉は、誘惑とも訳されて使われている言葉です。ネガティブな意味も、良い試練というポジティブな意味も両方ある言葉です。
私たちが、試練・誘惑を耐えて乗り越えるならば、それは主に近づき、イエス様が誘惑の後に御霊に力を帯びて働きを始められたように、新しい御霊の力を帯びて前進する良い機会です。
しかし、神様が私たちが直面することを許される試練は全て乗り越える為、耐え忍ぶ為にあるものであることを感謝します。
私たちが、試練や誘惑に陥ってしまう為ではありません。それは神様の御心ではありません。
そして誘惑や試練に陥らない為には、祈ることが必要です。
「いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、『誘惑に陥らないように祈っていなさい』と言われた。」ルカ22:40
「祈り=神様との親密な交わり」の中で脱出の道を教えていただくのです。
試練の真っ只中は、神様とのより深い親密な交わりへと招かれるときなのです。
またルカ4:3-11にあるイエス様があった誘惑・試みを見ると、イエス様は、数々の誘惑・試みに対してみことばの宣言を持って打ち勝っていることが分かります。
時には自分の目に見える必要や状況、感情ではなく、神のことばを宣言し、神のことばに信仰を置くことが脱出の道となるのです。
私たちが試練に会うとき、私たちの信仰がためされます。
しかし、信仰がためされるとき、忍耐が生じるのです。そしてその忍耐を完全に働かせるとき、私たちは何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となることが約束されています。(ヤコブ1:2-4)
試練の中では悲しみがあっても、信仰の信仰は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄養になることが約束されていることを感謝します。(1ペテロ1:6-7)
また私たちの試練は人の知らないものではないことが今日の箇所に書かれています。こんなのは、自分だけ、他の人には分からないと思うことがあっても、聖書は真実ですから、人の知らない試練ではないのです。
だからこそ、励まし合うことが必要なのです。試練のとき、兄弟姉妹からの励ましを受けることが力になります。
そして、イエス様は「試みのとき信仰がなくならないように祈ったから、あなたが立ち直ったら、今度はあなたが兄弟たちを力づけてやりなさい」とペテロに言っています。(ルカ22:32)
私自身も、試練を通ってきた信仰の先輩である神の家族から励ましと力を受けることを経験しています。
経験した試練は全て、兄弟姉妹を力づけることに繋がるのです。
また私たちの試練を1番分かってくださっているのは私たちの主です。イエス様が人としてこの地に来られ歩まれたとき、イエス様が試みを受けられました。イエス様が私たちの試練を知っています。
イエス様は試みを受け苦しまれたので、試みられている私たちを助けることができる方なのです(ヘブル2:18)。
そして、イエス様は今も、試みに会う私たちの信仰がなくならないように祈ってくださっています(ルカ22:32)。

■A:考えてみよう
イエス様の祈りは必ず聞かれることを感謝します。
偉大な大祭司であるイエス様が祈ってくださってるから、信仰の告白を堅く保ち、
私たちと同じように試みに会われた方、私たちの弱さに同情してくださる大祭司がいますから、このお方からあわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に進み出たいと思います。(ヘブル4:14-16)
そこで、試練に耐える為の脱出の道が示されることを信じます。

■P:祈り
神様、あなたは耐えられない試練に会わせることはなさらない方であることを感謝します。
どんな状況でも、あなたのみことばが必ず成就されることを感謝します。
試練は乗り越えるためにあること、必ず耐え忍ぶことができ脱出の道に導かれること、主よあなたは私を助けることができる方であることを感謝します。
試練の真っ只中で、直面する問題だけでなく、あなたのみことばに約束されている結果を見ることができるように助けてください。
神様のみことばに、神様あなたに信仰を置き続け、忍耐を働かせて、成長することができるように助けてください。
試練の真っ只中で、あなたとの益々深い交わりへの招きに応えます。
あなたとの深い親密な交わりの中へと私を導いてください。
親密な交わりの中で、試練に耐える脱出の道へと導かれることを感謝します。
私の大祭司である愛するイエス様の御名でお祈りします。アーメン。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ありさ 】

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