■S:今日の聖書の言葉
マルコの福音書14章8〜9節
★この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。
■O:今日のコラム
主イエスが十字架へと向かう前、エルサレムのすぐ隣にあるベタニヤの町のマルタとマリヤの家に滞在しておられました。
このベタニヤにおいてマリヤが香油の壺を割り、主イエスの頭に注ぐのですが、弟子達はそのマリヤの行為を見て憤慨し、特にユダは「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」と言ってマリヤを厳しく責めました。
一デナリは一日分の労働賃金に値する額なので、三百デナリは現代の額において、250万円~300万円相当の価値があるものです。マリヤは人生をかけて貯めた花嫁料として用いられる高価な香油を全て主イエスに注ぎかけました。
ユダは「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか」と言いましたが、これは別の表現で言うなら「主イエスの為に高価なものを捧げるのは無駄だ。」と言う意味になります。
私達は何かを沢山持っているから多くを捧げられる訳ではありません。ベタニヤは「貧しい」と言う意味があり、貧困の中にある人々が住んでいた町とも言われています。しかし、その中にあっても、マリヤは自分の持っている全てを主イエスに捧げました。この行為は言葉で表現するなら「主イエス様。あなたこそが私の人生の中で最も価値のあるお方です。あなたこそが私の夢であり願いです。」と言う意味となります。
私達の内でユダの心とマリヤの心が衝突するのを経験する事があるかも知れません。「余りにも忙しいから主イエスの為に時間を費やしたり、礼拝する暇など無い。」「今、様々な必要があって生活が大変だから献金する余裕なんて無い。」と言う感じにです。
しかし、マリヤが貧しさの中にあっても全てを捧げた様に、忙しさや不足の中にあっても与えられた時間や経済、何よりも自分自身の心を主に捧げる時、それはどれ程に豊かな主への捧げものとなる事でしょう。
たとえ、その信仰の歩みが人々からは「無駄な事をしている」と評価される事があったとしても、主イエスはキリストの花嫁の心を持った礼拝者の捧げものを高く評価して下さいます。絶えず世の評価では無く、主イエスからの評価を求めようではありませんか。
■A:考えてみよう
主イエスから私達への完全な評価が既に御言葉の中に啓示されています。私達は聖霊様の助けの中で御言葉を悟る時、その評価を受けるにふさわしい生き方へと変えられて行きます。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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今日(5月29日)の早天のピアノ演奏はマナミ
さんですね。
早天の演奏をされている方でただ一人、実際
にお会いしたことがある方ですね。
いつも、しっとりとした優しいメロディーに
より深く深く主と交わらせていただいています。
イエス様の愛、十字架の愛が心の奥底から
せまってくるような、心があたたかくされ優しく
癒される演奏を背景に祈りの時を持って、一
日の始まりに励まされ祝福を受けています。
心から感謝します。
これからもっともっと多くの人たちにイエス
様の愛を演奏を通じて語り伝えてあげてくだ
さい。
God bless you!