■S:今日の聖書の言葉
マルコの福音書13章31-33節
★この天地は滅びます。 しかし、 わたしのことばは決して滅びることがありません。
ただし、 その日、 その時がいつであるかは、 だれも知りません。 天の御使いたちも子も知りません。 ただ父だけが知っておられます。
気をつけなさい。 目をさまし、 注意していなさい。 その定めの時がいつだか、 あなたがたは知らないからです。
■O:今日のコラム
この世界に終わりは来るのでしょうか。そうです。いつかは終わりの時が来ます。では、その時はいつなのでしょうか。それは32節にもあるように、天の父以外知りません。しかし、聖書は難しいですが優しい書物です。
マルコの福音書13章23節
「だから、 気をつけていなさい。 わたしは、 何もかも前もって話しました。」
世の終わりの兆候を教えてくれている箇所の一つがこのマルコの13章になります。是非一度、13章全体をご自分でしっかりと読み込んでみてください。
この箇所には様々な事が書かれていますが、その中で今日教えられたことは目を覚ますということです。言語では「アグループネオ」と言う言葉が使われていて、「目を覚ます、きびしく注意し、用心し、気をつける」と言う意味があります。ただの目をさますという言葉を超えた、警告に近いニュアンスの言葉です。
では、なぜイエス様は世の終わりにこれほど目をさましていなさいと言われるのでしょうか。それは、21節,22節に書かれていることのためです。
マルコの福音書13章21-23節
「そのとき、 あなたがたに、 『そら、 キリストがここにいる』とか、 『ほら、 あそこにいる』とか言う者があっても、 信じてはいけません。
にせキリスト、 にせ預言者たちが現れて、 できれば選民を惑わそうとして、 しるしや不思議なことをして見せます。」
この惑わしに惑わされないためにも、目を覚まして、きびしく注意し、用心し、気をつけなければならないのです。
惑わしとは本当に厄介です。惑わす者は「私は今からあなたを惑わしますよ!」とは言ってくれません。もっともらしく、いかにも本物であるかのように巧妙に近づいてきて来ます。本当に注意していないと気づかない事が多いのです。
そして、一度惑わされると、なにが本物かわからなくなってしまいます。それはまるでひどい乗り物酔いをして、それからなかなか立ち直ることが出来ないような状態です。惑わしとは本当にたちが悪いものです。もしかしたら、惑わすものも単純にイエス様を愛していて、気が付くと人を惑わしていたということもあるかもしれません。私もそうならないよう、気をつけています。ぜひ、祈ってとりなしてください。
それでは、どのようにすれば目を覚ましていられるのでしょうか。惑われないようになるのでしょうか。それも、ちゃんとみことばに書かれています。
(1)みことばに立つ
マルコの福音書13章31節
「この天地は滅びます。 しかし、 わたしのことばは決して滅びることがありません。」
そうです。神の言葉は決して滅びることがなく、永遠に立ちます。ですから、私たちはこのみことばを土台として建てあげられなければなりません。どんな素晴らしいことでも、力あるものでも、それにみことばの裏付けがないなら気をつけなければなりません。
そのためには、私たちが普段からみことばを蓄える生活を送る必要があります。私たちにみことばがしっかりと染み付いているなら、それ以外の者が入ってくるなら、私たちの反応を超えて、内なる聖霊様がそれに反応してくださるでしょう。ですから、何が正しく、何が間違っているかの絶対的基準はみことばに照らし合わせる必要があります。
みことばの飢饉の時がやってくるかもしれません。その時に賢い五人の乙女のように、油をしっかりと備えた者となりましょう。
(2)祈る
マルコの福音書13章18節
「ただ、 このことが冬に起こらないように祈りなさい。」
目を覚ますために必要なもう一つは祈りです。そうです。本当にシンプルなことです。みことばと祈り。今まで何度も何度も目にし、耳にしたかもしれませんが、小さなものに忠実なものは大きなものにも忠実です。この事の重要さに対して目が開かれていくことを願います。
なぜイエス様は「冬に起こらないように祈れ」と言われたのでしょうか。それは、ユダヤの祭りに関係があります。ユダヤの三大祭である過越し、五旬節、仮庵の祭りは、過越しがイエス様の初臨、五旬節が聖霊様の注ぎ、仮庵はイエス様の再臨を啓示しています。そして仮庵は秋に行われる祭りです。
つまり、秋に行われるべき祭りが冬にずれ込んでしまわないよう、神様の時を遅らせないように祈る必要があるのではないかと思います。もちろん、神様は神様なので、何でもおできになるお方です。しかし、神様は優しい方なので、私たちと共に働くことを願っておられます。ですから、神様のご計画を成就するのは私たちにもかかっているのです。
終わりの時代、私たちはもう一度、帯を締め直してしっかりとみことばに立ち、祈る生活を送ろうではありませんか。日々の生活の中でこれを続けていくなら、目を覚まされるだけでなく、天の御国で「よくやった。良い忠実なしもべだ」と主人にほめてもらえます。
■A:考えてみよう
自分の生活の中で、みことばを土台として建て上げられているでしょうか。しっかりと祈れているでしょうか。終わりの時代、惑わされないように一人ひとりが今一度神様の御前に進み出て、自分の生活を見なおしてみましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
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