■S:今日の聖書の言葉
マルコの福音書 8章34節・35節
★それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
■O:今日のコラム
主が私たちに語られる神の摂理は、私たちの「常識」と思うものの正反対のことがあります。
自分のいのちを救おうと思う者は、自分のいのちを失い、主と主の素晴らしい知らせとのためにいのちを失う者は、自分のいのちを救う者となります。
主の御前に低くなる者を、主は高く引き上げて下さいます。
「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」(第一ペテロ5:6)
与える者は、受ける者となることが出来ます。
「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
神は…あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」(第2コリント9:7,8)
弱い者となる時に、主にあって強い者となることが出来ます。
「…ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。…なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(第2コリント12:9,10)…etc
それには、どれも信仰を必要とします。主への全き信頼を必要とします。
主がいのちを与えて下さる方だと、完全に信頼しているからこそ、私たちは、主のために自分の人生喜んで投げ出すことが出来ます。
主が、私たちを高くして下さる方だと、信頼しているからこそ、安心して御前に身を低くすることが出来ます。
主が報いて下さる方だと、信頼しているからこそ、捧げることが出来ます。
主の力がおおうと信じているからこそ、弱められても恐れません。
どれも主が私たちにとって、どれほどに良い父であるか。どれほどに愛に満ちた方か。どれほどに惜しみなく与えて下さる方かを知らなければ、喜んで、また恐れなく実行することは出来ないでしょう。
主の素晴らしさを、頭でだけでなく、魂が悟ることが出来るために、主の良いご性質を実際言葉に出して宣言してみるといいでしょう。
魂が沈む時、また主への信頼が薄れている時、信仰が弱い時、是非、この「みことばに書かれている主の良いご性質を宣言する」ということを、実践してみて下さい。
口から宣言される真理によって、魂がみことばへと矯正され、生き返り、強められ、主への信頼が、また信仰が回復することを体験出来るでしょう。
また、黙示録12:11に書かれている「小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った」者たちのように、勝利者となることが出来るでしょう!
■A:考えてみよう
みことばの中にある主の素晴らしいご性質、御名を宣言し、主がどれほどに私たちの全信頼をおくべきお方かを、魂に言い聞かせていきましょう!
主は…
「私の望み、私の信頼の的」(詩篇71:5)
「すべてを知る神」(第一サムエル2:3)
「祈りを聞かれる方」(詩篇65:2)
「わたしの頭の毛さえ数えておられる」(ルカ12:7)
「飢えた魂を良いもので満たすお方」(詩篇107:9)
「いやす方」(出エジプト15:26)
「私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方」(エペソ3:20)
「我が避け所、わがとりで」(詩篇91:2)
「正しい父」(ヨハネ18:25)
「真実な方」(黙示録3:7)
etc
これは本当ぉぉぉに序の口の序の口✖️10000…です。
書ききれるわけがないのは、皆さんも百もご承知と思います。
毎日のディボーションの中で、みことばの中から、個人的に感動を受け、個人的に教えられた主の素晴らしさ、また自分で見つけた主の御名を、書きとめ、心に留め、是非宣言してゆきましょう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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