■S:今日の聖書の言葉
マルコ7章6b~8節

★『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。

■O:今日のコラム
エルサレムの路面電車のドアの開け閉めはボタン式です。到着したら、ドアにあるボタンを押さなければドアは開きません。ある安息日、正統派と思われるユダヤ人がドアの前に立っていました。私は降車駅が近づいてきたので、そのユダヤ人の後ろに立っていました。そして、電車が止まって、外に出ようとしたら、前のユダヤ人がボタンを押してドアを開けてくれないので、この駅で降りないのかなっと思い、私がボタンを押してドアを開けたら、そのとたんに、彼はササッと電車を降りて行きました。

神様が与えられた戒め、それは十戒であり、私たちの聖書にもあるモーセ5書、トーラと呼ばれているものですが、パリサイ人や律法学者は、この戒めを破らないようにと、また、この戒めを研究して、その回りに600以上もの戒めを自分たちで作り上げました。それがユダヤ教の聖典でもあるタルムードという律法の本です。

私が路面電車で出会ったこの正統派のユダヤ人は、このタルムードを守っている方でしょう。神様の戒めには、安息日には仕事をしてはいけないとしか書かれていないのですが、この「仕事」とは何かと律法学者たちが研究し、「ボタンを押す事も仕事だ!」と解釈したらしく、それをタルムードに書き、ユダヤ人たちはそれを守り行っています。

多くの宗教的ユダヤ人はトーラよりも、律法学者たちが作ったこのタルムードを読み敬っています。それも、トーラは今でも研究され続けていて、いろんな解釈が今でも生み出されているので、ユダヤ教の中にもいろんな宗派が出てきて、今でも新しい戒めが作られているようです。

神様から出た純粋な戒めがいつの間にか人間によって人間の教えができ、神様のより、人間の教えを敬い守り行ってしまったユダヤ人たち。それも神様の戒めを破らないようにと作った戒めが、いつの間にか、神様の戒めをないがしろにしてしまった。それにイエス様は憤りを感じていました。

ユダヤ人と言わず、私たちクリスチャンもいつしか、いろんな人からの教え(牧師先生や教会のリーダーやクリスチャンの本など)を神様の言われた事より大切にしているところがないでしょうか?

人からの教えは確かに大切です。それを敬ってそれを行うのは間違っていません。しかし、それを敬いすぎて、神様のみことばをないがしろにすることは、神様の御心ではありません。神様は私たち一人一人に聖書を与え、そこから一人一人に語り教えられる神様です。それも、一人一人に偉大な教師である聖霊様を与えてくださり、私たちが神様のみことばを理解できるようにしてくださいました。今日、聖霊様から神様のみことばを教えて頂き、それを堅く守っていきましょう。

■A:考えてみよう
毎日、みことばを読もう。どんな人からの教えよりも先に、まず自分でみことばを読み、神様から直接教えて頂きましょう。純粋な神様の教えをまず行い守っていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 かよ 】

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