■S:今日の聖書の言葉
エゼキエル書6章3,10節

★3 言え。イスラエルの山々よ。神である 主のことばを聞け。神である主は、山や丘、谷川や谷に向かってこう仰せられる 。見よ。わたしは剣をあなたがたにもたらし、あなたがたの高き所を打ちこわす 。

10 彼らは、わたしが主であること、また、わたしがゆえもなくこのわざわいを彼らに下すと言ったのではないことを知ろう。」

マルコによる福音書6章節

★ 1 イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。

2 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことを どこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。

3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。

4 イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」

5 それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。

6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。

■O:今日のコラム
5月19日の朝です。今日1日、主から頂いているありえないほどの祝福を感謝し、賛美し、祈り、悔い改め、受け取っていきましょう。主の恵みは、当たり前ではないからです。

僕らの毎日には、当たり前がたくさんひそんでいます。あれも、これも、当たり前のように持ち、使い、ほっぽり投げてしまう時さえあります。隣にいる人も、当たり前のように居るハズと思ってしまいます。スーパーやコンビニや様々な日常的な買い物も当たり前のようにしています。

しかし、それは当たり前のように僕らの高きところになってしまっている場合があります。または、僕らのすぐそばにあるハズと安心してしまっている時があります。それらを主は、時に取り去ってしまうことがあります。その理由(ゆえ)は、主こそ主の主、王の王であることを知る必要があるからです。

当たり前のように今まで過ごしていた方が、イエス様だったとしたら、僕らの反応は、ナザレの人々と一緒だったかもしれません。「いつも一緒にいたイエスじゃないか!?」僕らは、イエス様につまずき、イエス様に反論し、イエス様がなされたいハズの力あるわざを、一つも行うことができない状況を作ってしまいます。当たり前は、僕らを不信仰にしていきます。

だから、僕らは、365日、1週間、毎日、24時間、毎分、主を賛美していきましょう。イエス様の十字架と復活の勝利、希望、救いを、当たり前のようにしないようにしたいです。

いつもの朝は当たり前ではありません。今日1日、自分の弱ささえ感謝し、主と共に歩めることを感謝し、主に期待して、主に栄光があるように宣言し賛美していきましょう。

■A:考えてみよう
自分の毎日の当たり前だと思っていたことを主の前に悔い改め、感謝を宣言していきましょう。新しい時間を主に感謝して賛美していきましょう。周りに居る人にも感謝し、主の祝福があるように、とりなし祈っていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひろみち 】

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