■S:今日の聖書の言葉
ピレモンの手紙4
★私は、祈りのうちにあなたがたのことを覚え、いつも私の神に感謝しています。
■O:今日のコラム
パウロはピレモンのことを覚えて祈るとき、神様への感謝を持っていたことが、この箇所に書かれています。
パウロは、とりなし祈るとき、神様への感謝を持って祈っていたのです。
今日はこの箇所とピレモンの手紙から、「感謝を持ってとりなし祈る」ことを見たいと思います。
パウロは、ピレモンが益々聖徒に対する愛を持って、信仰の交わりが生きて働くものとなるように、そしてピレモンが益々兄弟を力づける者となるように、現在のピレモンの状態にも感謝し、そしてこれからのピレモンの状態にも感謝して、とりなし祈っていたのです。
人に対しても、また物事に対しても、私たちがとりなし祈るとき、神様に感謝を持って祈ることはとても大事なことです。
もちろん、とりなしの祈りは、涙を持って祈るとき、うめきを持ってとりなすとき、力強く祈るとき、産みの苦しみを持って祈るとき、忍耐を持ってとりなすときもあり、どんなとりなしの祈りも、とても大事な祈りです。
しかし、私たちは、とりなし祈るとき、どれだけ神様への感謝を持って祈っているでしょうか?
「絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」1テサロニケ5:17、18
聖書では、様々な箇所で、感謝を持って祈ることを私たちに教えています。
すべてのときに、すべての事について感謝をするべきであり、感謝することが溢れているはずなので、祈るときにも感謝を忘れてはならないのです。
そして、私たちが絶え間なく祈り続けるにも、感謝を持つことが必要なのです。
「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」コロサイ4:2
私たちは、時にいろいろな必要や問題点、またその問題の大きさに目を向けてしまい、とりなし祈るときに感謝を持つことを忘れてしまうときがあるかもしれません。
しかし、私たちがイエス様の御名で祈る相手は、天のお父さんです。すべてを持っていて、すべてを治めておられる、大きい偉大な父なる神様です。何でもできるパワーを持つお方です。
たとえ祈ったことが、まだ実際的には起こっていなかったとしても、見えなかったとしても、叶っていなかったとしても、どんなものより偉大な大きい神様がいること、そしてそのお方には何でもできることを確信して、祈ったことは既に聞かれたことを受け取り、感謝を持って祈る必要があることを、今一度覚えたいと思います。
それは、たとえ祈り課題や抱えている問題が深刻なもの、痛みを伴うものであっても、また必ず答えられるという信仰を持てないとき、「果たして聞かれるのだろうか?」と疑ってしまようなときであっても、感謝を持って祈る必要があるのです。
それは、私たちが何も思い煩わずに、絶えず神の平安によって私たちの心と思いが守られるため(ピリピ4:6−7)でもあります。
そして、私たちが祈った祈りは既に叶えられていると信じるならば、祈ったことは既に聞かれていることが神様の約束だからです。
「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」マルコ11:24
私たちが、すでに祈ったことは聞かれたと信じるならば、そのとおりになるのです。なので、とりなし祈るときに、もう既に神様は聞いてくださったことを信じて受け取り、神様が聞いてくださったことに感謝を捧げて祈ることが大切なのです。
ピレモンの手紙全体を読むと、パウロはピレモンに対してあるお願いをしています。そして、今日の箇所にあるように、パウロはピレモンのことを神様にとりなし祈ったとき、ピレモンへのこのお願いに関しても、ピレモンが答えてくれるように神様にとりなし祈ったのだとピレモンの手紙を読む時に感じずにはいられません。
そしてパウロは神様に祈ったとき、いつものように必ず答えてくれることを信じて受け取り、神様へ感謝を捧げたのです。
しかし、パウロがピレモンにしたお願いは、ピレモンが簡単に答えられるようなものではなありませんでした。
ピレモンは当時の教会の集まりをすることができ、また宣教師たちの泊まるところを提供できるほどの家を持つ、家主であり、家事や管理の仕事を任せる奴隷を持っていました。そしてオネシモは、ピレモンの奴隷でした。
オネシモはピレモンの家から逃亡しましたが、パウロのもとでクリスチャンとなり、パウロはオネシモをピレモンのもとへ送り返しました。そこで、パウロはそのオネシモを兄弟のように愛を持って受け入れてくれるように、この手紙の中でお願いしたのです。
しかし、当時は奴隷は主人の持ち物、所有物の一つであり、奴隷が主人のもとから逃亡したとき、奴隷が捕まると主人のもとへ送り返され、逃亡してから主人ものとへ送り返された奴隷は、死刑に処されることもあるほどでした。
更に、ピレモンの手紙の中でも、オネシモは主人であるピレモンに対して損害を与えていたり、負債を負っていたかもしれないことが示唆されています(ピレモン18)。
パウロがピレモンに対してお願いしたこと、オネシモを愛を持って受け入れ、赦すことは、決してピレモンにとって簡単なことではなかったと思います。
そしてパウロも、それを分かっていたので、何とかオネシモを受け入れてくれるようにとお願いしている様子が書かれているのを見ることができます(ピレモン8、18、19、21)。
しかし、今日の箇所でもあるように、パウロは祈ったことは必ず聞かれたと信じて受け取り、神様への感謝を捧げて祈ったのです。
なぜなら、パウロは祈る時”いつも”神様に感謝をしていたからです(ピレモン4)。すべてのことについて感謝して祈っていたからです(1テサロニケ5:17、18)。感謝をもってたゆみなく祈っていたからです(コロサイ4:2)。
神様のみこころである限り、神様が聞くことができないほどの、神様にできないほどの祈りは一つもありません。
そして、難しいと思うことであっても、私たちが祈ったことは既に聞かれたと信じるならば、その通りになるのです。
私達が祈ったことは既に聞かれたということを受け取るならば、私たちはいつも神様に感謝を持って祈ることができるのです。
感謝を持って祈ることで、私たちは思い煩うことなく、神様の平安を持って、たゆみなく、絶えず祈り続けることができるようになるのです。
すべてのことを祈るとき、どんなことをとりなし祈るときも、いつも神様に感謝する者でありたいと願います。
■A:考えてみよう
今日、今一度、私たちの持つつ一つ一つの祈り課題に関して、とりなしている事に関して、神様は既に聞かれたことを受け取り、神様に感謝を捧げましょう。祈ったことを既に神様が聞いてくださったことを、神様に感謝しましょう。
■P:祈り
主よ、感謝します。
愛する天のお父さん、感謝します。
祈ったことは既に聞かれたことを受け取り、祈ったことを既にあなたが聞いてくださったことを感謝します!
いつもあなたに感謝を持って祈ることができるように、感謝を持って絶えず祈り続けることができるように、私を助けてください。
今、思い煩いを捨てて、あなたに感謝を捧げます。
感謝を持って祈りを捧げるとき、神様の平安が私の心と思いを守ってくださることを感謝します。
既に祈りが聞かれたことを感謝し、これからその祈りの実現を実際に見ることができることを期待し、愛するイエス様の御名でお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
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常に喜び 絶えず祈り 全ての事に感謝しなさい。
と頭では 解っていましたが 今日始めて 受け止めることが
できました。 このように信仰によって 生きられるように 私を
助け導いて下さい。と いのりました。 尊い主イエスキリストの
御名によって 感謝していのります。アーメン