■S:今日の聖書の言葉
2列王記17章18、20、23節 (18章)

★そこで、主はイスラエル….を御前から取り除いた。……
★そこで、主はイスラエル…..を御前から投げ捨てられた。
★ついに、主は、……イスラエルを御前から取り除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリヤへ引いて行かれた。今日もそのままである。

■O:今日のコラム
17章に書かれているのは、世界史の資料集などにも出て来る史実、北イスラエル王国が、アッシリヤに攻められ滅亡した時のことです。(後に、南のユダ王国もバビロンに捕囚となって行きます。)

敵に攻め滅ぼされた、ということも大変でしたが、その前に、御前から取り除かれた、投げ捨てられた、ということが実は大変なことでした。

この章の中には、三回も、「御前から取り除いた」「御前から投げ捨てられた」という内容の言葉が語られています。

サムエルが少年の時に、祭司エリの息子たちが主の御前に罪を犯し、その結果イスラエルの民が戦争に負けて、契約の箱が奪われた時のことを思い出します。
戦いに負けた事以上に、契約の箱が奪われた、イ・カボデ=栄光がさった、主の御臨在が取り去られた、このことが、一番大変なことでした。

私たちクリスチャンは、主がともにおられなければ、塩気のない塩、光の灯らないランプ、水のない井戸のようなものです。

御前から取り除かれる、御前から投げ捨てられる、とは、主の御臨在が取り去られるということです。私たちは葡萄の枝で、イエス様が葡萄の木、私たちはイエス様という命の木を離れては何の実も結ぶことができません。

イスラエル王国が御前から取り除かれ、投げ捨てられたのは、主の律法、命令、おきてを守らなかったからだと書いてあります。

では、逆に、どうしたら、主がともにいてくださるのでしょう?
主の御臨在が私たちとともにとどまってくださり、私たちが主の御前にとどまることができるのでしょう。

ヨハネ14章23節
★イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」

イエス様を愛するなら、イエス様のことばを守るなら、主がともに住んでくださる、という約束です。

心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして主を愛し、自分自身のように隣人を愛する。
自分の力ではできませんが、信仰によって、恵みによって、聖霊の助けと力によって、主がこれをできるようにしてくださると信じます。

そうする時に、イエス様、父なる神様、聖霊様、が私たちのところに来て、共に住んでくださいます。

■A:考えてみよう
朝、目覚める時も、困ったこと、難しい問題があるときも、イエス様の中に注がれている、天のお父さんの愛を受け取ろう。
この愛、この恵みに応えて、心を尽くして、知性を尽くして、力を尽くして、主に信頼し、主を愛そう。喜びをもって主に仕えよう。
主が私を愛してくださっているように、自分のそばにいる人を愛していこう。

■P:祈り
主よ、あなたは良いお方です。あなたの愛に信頼します。あなたの言葉を守れるように助けてください。あなたの御前にとどまることができますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン

【 ともこ 】

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