■S:今日の聖書の言葉
第一列王記20章28、43節(第一列王記19章)
★ときに、ひとりの神の人が近づいて来て、イスラエルの王に言った。「主はこう仰せられる。『アラムが、主は山の神であって、低地の神でない、と言っているので、わたしはこのおびただしい大軍を全部あなたの手に渡す。それによって、あなたがたは、わたしこそ主であることを知るであろう。』」
イスラエルの王は不きげんになり、激しく怒って、自分の家に戻って行き、サマリヤに着いた。
■O:今日のコラム
ハレルヤ!私達の主は山の神でもあり、低地の神でもあり、すべてに満ちておられる、すべての上にたつ、万軍の神です!!
23節にアラムの王の家来達が、山で負けた経験から、平地だったたらイスラエルに勝てると言い、翌年にアラムはイスラエルに戦いを仕掛けます。
平地だから勝てると言って、アラムは手を引いたかと言うと、そうでもなく、この前よりも万全な状態で戦いに備えました。前の戦いは、お酒でどんちゃん騒ぎをしていた時だったので、今回は、その時に失った数の軍勢、馬、戦車を補充して、戦いに出てきました。
27節では、アラム軍とイスラエル軍をこのように描写しています。
「彼らは二つの群れのやぎのようであったが、アラムはその地に満ちていた。」
アラムとイスラエルの軍勢の差をみなさん、想像できますでしょうか?
しかし、私達の神様は、山でも低地でも関係なく勝利をなさるお方!それをもって、「わたしこそ主である」と人々に示すのです。すべては、主ご自身の名の為です。
ちなみに、この時代のイスラエルの王アハブは、今までのイスラエルの王よりも主の目の前に悪を行った王でした(第一列王記16:30参照)。なのに、神様は彼に大勝利を与えました。彼が良い王だからというわけではないのです。彼が良い王でも悪い王でも関係なく勝利を与えた理由。それは、彼がイスラエルの神こそ主であることを思い知らす為でした。
神様は、私達の山も低地もどんな戦いをも勝利することができます。それは、私達がよい行いをしたからや、いい子にしていたから、そのご褒美に戦ってくれるのではなく、ただ、主の主権、主のゆえに主が戦い勝利されるのです。
なので、自分が悪い事をしたから、神様は助けてくれないなどと思わないでください。神様は、そんなにちっぽけな神様ではありません。あなたが悪くても悪くなくても、この戦いを戦うと決めたら戦い、勝利されるのです。それは、皆さんに「わたしこそ生きている神、主である」と知らせる為。もし、自分が悪いと思っているなら、悔い改めて、この神様を恐れ、そして、神様のもとにかえりましょう。
43節のイスラエルの王アハブのようにならないでください。神様が勝利を与えたのに、その後、自分の間違いに神様から叱責を受け、怒ってしまったアハブ王にならないでください。自分が良い悪い関係なしに、主の前にへりくだり続け、主を認めていきましょう。
■A:考えてみよう
今、山、または低地で戦っているでしょうか?神様はあなたがどんな状況にいても、主の御名を呼ぶと助け戦ってくださるお方です。失望せずに、主を待ち望みましょう。しかし、それと同時に、主を信頼し、主を誇り、主を認め、主を愛し、主としっかりと関係を持ちましょう。悔い改めるべき時は、悔い改め、勝利を得たときは、主にすべての栄光を捧げ、主の御名を高く掲げていきましょう!!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。