■S:今日の聖書の言葉
1列王記11章4-6節 (12章)
★ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行い、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。
■O:今日のコラム
旧約聖書のユダヤ人たちの失敗、特に、一時は神を愛し、神に愛された人たちの失敗を読む時、いつも心が痛くなります。
ああ、ダビデが、バテシェバの罪を犯さなければ、アムノンも、タマルも、アブシャロムも幸せだったかもしれない。ああ、ソロモンが、最後まで、主に従い通したなら、神様の心は痛まなかっただろう……。などなど…etc.
でも、実は、神様は、あえて、イスラエルの民が失敗することを許されたんですね。そして、それが、そのまま記録に残るようにされました。
それは、イスラエルの失敗によって、神様の救いの恵みが、異邦人、つまり全世界のすべての人に及ぶようになるため。
また、彼らの失敗から私たちが学び、同じ間違いを犯さないで、十字架の恵みと信仰によって、神様と最後まで、親密で真実な愛の関係を持ち続けるためです。
1コリント10章11節 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
今日の聖書箇所には、ダビデとソロモンの違いが書かれています。
どちらもイスラエルの全盛期の王として、国を治めました。どちらにも成功も失敗もありました。
しかし、神様は明らかに、ダビデとソロモンを区別し、ダビデの方を喜ばれました。
その違いはどこにあったのでしょう?
この二人から私たちは何を学べるのでしょう?
タビデは、主との交わりを何よりも愛しました。
詩篇27篇4節私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
詩篇51篇11-12節 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。
ダビデにとっては、神様との間に隔てが出来てしまうこと、神様の麗しさ、御臨在、聖霊から離れてしまうことこそが、一番恐ろしいことでした。
ダビデにとっても、もちろん、敵に追われること、荒野を逃げ回らなければならないこと、家族や友人から引き離されること、などなどは、辛いことだったと思います。それでも、彼は、どんな状況にあっても、神様の近くにいることができるなら、他のことは耐えられる、と考えたと思います。
だからこそ、ダビデは、神様との間に仕切りが出来てしまうことを恐れ、罪を犯すことを恐れ、罪を犯してしまった時には、すぐに悔い改めたのです。
ダビデにとっては、神様との間に隔てのない、一つ心を持つ事こそが、一番の願いでした。
残念ながら、ソロモンは、神様とのそのような関係を築かなかったか、失ってしまったのか、神様とその王国のために、多くの働きを成し遂げましたが、最後は、神様の憎む偶像を捨てることができなくなってしまいました。
■A:考えてみよう
イエス様の十字架は、神様と私たち、また私たちとまわりの人たちとの間に出来てしまった隔ての壁を打ち壊してくださいました。今日も、イエス様を通して、父なる神様と一つ心になりましょう。
■P:祈り
恵み深く、親切な神様、私たちの教訓のために、あなたの愛するイスラエルの民に、あえて失敗することを許されたこと、また彼らの失敗の記録をも、残してくださったことを感謝します。
私が、ソロモンの失敗から学び、ダビデのように、いつまでも、神様と一つ心を持ち続けることができますように、神様との間の仕切りとなる罪を、どうぞ、取り除いて、あなたの御前にとどまれるようにしてください。
また、神様との愛の関係から、あなたの愛するイスラエルのために、執り成し祈ります。かれらが、救われますように。覆いが取り除かれ、イエス様が救い主であることを、彼らが認めることができますように。父なる神様の変わらない愛を知り、神様の元に帰って来る事ができますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン
【 ともこ 】
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