■S:今日の聖書の言葉
列王記第一1章5~6節(列王記第一2章)

★一方、ハギテの子アドニヤは、「私が王になろう」と言って、野心をいだき、戦車、騎兵、それに、自分の前を走る者五十人を手に入れた。──彼の父は存命中、「あなたはどうしてこんなことをしたのか」と言って、彼のことで心を痛めたことがなかった。そのうえ、彼は非常な美男子で、アブシャロムの次に生まれた子であった──

■O:今日のコラム
アドニヤは、アブシャロムと同じように野心を抱き、軍隊を持ちました。彼がアブシャロムと同じように高ぶり、不従順を持ったのは、ダビデが彼のことで心を痛めたことが無かったからであると、聖書は語っています。なぜそうなってしまったか?というと、その親子間に親密な交わりがないからなのではないでしょうか?親子が長い時間一緒に過ごすなら、褒め、喜ばせるだけではいられないでしょう。
 それは、アブシャロムにも共通している点です。『アブシャロムは二年間エルサレムに住んでいたが、王には一度も会わなかった。』(2サムエル14:28)この後、アブシャロムは何とかダビデに会おうと策略をめぐらさねばならなかったほどです。
 親密な交わりの基本は受容です。しかし、親密な交わりは、受容に終わりません。愛をもって懲らしめることは、より高いレベルの交わりなのです。『むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。』(箴言13:24)
 これは、私たち神の子どもと天の父の間にも言えることです。十字架によって私たちを受け容れる父の受容が示されました!そして、より深い関係を求めていくならば父の懲らしめがあって当然なのです。それが無ければ私生児であって子ではないとあります。それは、交わりがあってこそなのです。
 天の父の訓戒にならって子どもを育てよ、と聖書は言っています。私も子どもの父として、叱ることは、得意ではありませんが、避けてはならない事を思わされます。しかし、一緒に過ごす事と受容が基本であることも覚えます。

■A:考えてみよう
まずは、天の父との親密な交わりを求めましょう!これが基本です。父が愛してくださっている、その平安の中で歩んで生きましょう!そして、避けるべきでない試練がやってきたなら、父の愛を思い出し、喜びをもって乗り越えていきましょう。より深い関係への招きである事を信じましょう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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