■S:今日の聖書の言葉
マルコの福音書14章8節 前半(エレミヤ35章)

★この女は、 自分にできることをしたのです。

■O:今日のコラム
まもなく過越しの祭りを迎えます。この過越しの祭りはユダヤの三大祭の中の一つで、とても重要な例祭です。特に過越しの祭りはイエス様の初臨を啓示している祭りです。過越し祭りはあまりにもたくさんの事が啓示されている祭りなので、ぜひ出エジプト記など、聖書のあらゆる箇所から過越し祭りについて調べてみてください。
今日の聖書箇所は、ベタニヤのマリヤが油の壺を割って、イエス様の頭に注ぐという箇所です。その様子を見て何人かは「なんてことするんだ!香油を無駄にして。これがあれば300デナリ以上で売れ、貧しい人に施しができたのに!」と憤慨します。
しかし、ベタニヤのマリヤはそのような言葉には耳を一切貸しませんでした。また、イエス様も「マリヤ!わたしになんてことをするんだ!」とは言われず、マリヤのしたことをたたえました。一見、理解できないこの出来事ですが、「召し」と言う視点から見ると見えてくるものがあるのではないかと思います。
ベタニヤのマリヤは自分の召しをはっきりと受けとっていたのではないかと思います。自分の召しを発見した人はぶれません。また、人と比較する必要がないことを知るでしょう。神様が地の出来る前からあらかじめ計画を持って私をある働きのために呼んでくださっている。それを知ることが出来るとは、なんという偉大なことでしょうか。
私たちが日々の生活の中で苦しみ、何をやっても実が実らない。そのような経験をするなら、もう一度自分の召しを主に伺う必要があるかも知れません。自分が本来進むべき道と違った道を進むのは本当に大変なことです。しかし、主が用意して下さった道を神とともに歩むなら、それは喜びに満たされ、たくさんの実を見ることができると思います。
ベタニヤのマリヤはイエス様を愛し、慕い求め、いつも御声に耳を傾けていました。主を礼拝する中で自分の召しを受け取っていたのです。そして、その召しに従って自分のできる最大限のものをイエス様に捧げたのでした。例えるのであれば、姉のマルタはイエス様が何を召し上がりたいか聞きもしないで食事を準備していましたが、マルタはイエス様が欲しいと願っておられる一つのものをちょうどいいタイミングで捧げたのです。
では、どのようにすればマリヤのようになれるのでしょうか。それは、まず第一の戒めを守ることです。神である主を第一にし、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして神を愛することです。愛する人の語られる事に耳を傾けるなら、自分の召しを教えて下さいます。
主は私たち一人ひとりを唯一無二に作ってくださっています。壮大な主のご計画の中で自分がどの部分を担っているかを主から教えていただきましょう。そして、その道を知ったなら、走るべき道のりを走り、戦うべき戦いを闘いぬこうではありませんか。すべてはイエス様のために!

■A:考えてみよう

求めなさい。 そうすれば与えられます。 捜しなさい。 そうすれば見つかります。 たたきなさい。 そうすれば開かれます。

(マタイ7:7)
自分が神様のご計画の中でどの部分を担うように造られたかわからない人は、主に求めてください。それでも分からないという人はもっと求めて下さい。召しをつかみとるまで皆さんが主に聞き続けることができることを願います。
そして、主からの召しを受け取ったなら、自分ができることをなし、主イエスから目を離さないで走るべき道のりを全力で走って行きましょう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しゅん 】

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