■S:今日の聖書の言葉
ローマ5章18節(エレミヤ書34章)

★こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。

■O:今日のコラム
イスラエルでは、今週の金曜の日没からペサハ、過越の祭りが始まります。今でも多くのユダヤ人(正統派も世俗的なユダヤ人も含め)は、エジプト奴隷から解放された事を覚え、この祭りを行っています。

ペサハでは、セーデルと言う晩餐会があります。これは、イエス様の時代にも行っていた過越の食事のことです。その晩餐会では、儀式があり、食事を通して、出エジプトのお話を思い出し、主に感謝します。そのようにして、ユダヤ人たちは、歴史を次の世代へと引き継いでいるのですが・・・

神様は、この祭りに対して、もっと重要な深い奥義をもっていると思います。その奥義とは「ひとりの人」、イエス・キリストです。

過越の食事で出る種なしパン。マッツアと呼ばれるパンですが、出エジプトのお話では、イスラエルの民がイースト菌(パン種)を発酵させる時間がなく、急いで食べて、エジプトを出なければならなかったので、急ぎのパンとして象徴されています。(出エジプト記12:39)

最近、日本の多くの教会で聖餐式の時にこのマッツアを使われ始めているようですが、ユダヤ人は、この過越の時期にしか食べません。なので、この時期以外でマッツアをお店で購入するのは、なかなか難しいです。

しかし、このマッツアの真の奥義。それは、イエス様の身体を象徴しています。イエス様ご自身が最後の晩餐の時に言われました。「これはわたしのからだです。」と。また、パン種は罪を象徴しているので、パン種のないパンとは、罪がないものということで、イエス様こそ罪を犯さず聖く生きた方として、種なしパンがイエス様ご自身を象徴していることになります。

今、説明したのは、たったの1部だけで、過越の食事だけでも、イエス様を表しているものが、まだまだ沢山あります。とにかく、私がここで、言いたい事は、この「ひとりの人」イエス様こそが、過越の祭りに絶対欠かせることができない存在であるという事です。

なぜなら、ローマ5章に繰り返し出てくるこの「ひとりの人」によって、多くの人が義と認められ、出エジプトよりも大きな真の解放、死という支配からの解放がもたらされ、永遠のいのちが与えられるからです。すべては、この「ひとりの人」によってなのです!!

*かなり余談になりますが、今日読むもう1つの箇所、エレミヤ書で出てくるユダ王国の最後の王の名前、「ゼデキヤ」は「イスラエルの神(ヤハウェー)は義である」という意味です。

■A:考えてみよう
今日、もう一度、恵みと義の賜物を受け、私達がイエス様によっていのちにあって支配していくことができる事を確信し、主に感謝しましょう。
また、ユダヤ人たちが今年、この過越の祭りを祝う時に、主の偉大な奥義である「ひとりの人」に気がつき、彼らの思考や目にかぶっている覆いが取り除かれ、真の解放を経験することができるように、とりなしていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 かよ 】

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