■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙1章16節(エレミヤ29)
★私は福音を恥とは思いません。 福音は、 ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、 信じるすべての人にとって、 救いを得させる神の力です。
■O:今日のコラム
祈りと宣教は切っても切れない関係にあることは、昨日まで読んでいた使徒の働きの中から学べたと思います。
最近は祈りから押し出された宣教によって、外SHOP(路傍伝道)で救われる人が多く起こされています。その中から礼拝に参加してくださる方も起こされています。主をほめたたえます!
そこではシンプルに神様の愛を語ります。中には神の愛に触れて街中で涙が止まらなくなったり、また、実際的な癒やしを受け取る方もいらっしゃいます。しかし、毎回そのような恵にあずかるとは限りません。恥をかくかもしれない、断られるかもしれないという不安を抱えつつも、人々に声をかけ続けます。
私たちはなぜ、福音を語ることに抵抗があるのでしょうか。それは、つまるところ、自分が恥ずかしい思いをしたくないからではないかと思います。ある神学者は、信仰のスペルは「RISK(リスク)」だと言っています。自分の力で行なうなら、到底不可能ですが、救いをもたらすのは主ご自身です。その事を信じて神の愛を伝える時、主はそこに働かれます。
私たちは栄光は主にお返ししますが、恥は自分のものとしてしまっていることが多いのです。栄光も恥も全ては主のものです。主のために自分を捨て、日々十字架を背負って主についていくなら、必ず主が報いを与えてくだいます。主のために命を捨てるなら、主が生きてくださいます。
時が良くても悪くても、福音の種を撒き続けるなら、主はその種をちょうどいい時にその人の中で芽吹かせてくださいます。信仰というリスクを喜んで選び取り、この国の隅々にまで救いを得させる神の力、すなわち福音を伸べ伝えていきましょう。
■A:考えてみよう
あなたの周りに福音を聞いたことがない人はいませんか?彼らのためにできることは何でしょうか。施すことでしょうか。励ましを与えることでしょうか。手を置いて癒やしのために祈ることでしょうか。
主は私たちに難しいことを要求されていません。万軍の主は私たちに天にある全てを相続財産として与えてくださっています。それを用いるか用いないかは私たちにかかっています。
あなたがからしだねほどの信仰を持って主のために一歩を踏み出して行くとき、そこに主の力が現されていきます。その時に現される主の偉大な力にあなた自身が驚くことでしょう。目の前で人々が癒やされ、救いを受け取る瞬間に立ち会えることはこの上もない喜びです。ぜひ、皆さんもこの喜びを味わってください!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
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