■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き25章全体(エレミヤ書25章)
★省略します
■O:今日のコラム
パウロは、囚人となっていました。しかし、心においては、誰かに捕らえられているのではなく、キリストの囚人であるとピレモンへの手紙で告白しています。パウロは、主に心を捕らえられていたのです。
だから彼にとっては、自分がどうやったらこの状況から解放されるか?が重要な事ではありませんでした。主から示された通りに、主を証しするものとして、ローマへと向かうことにフォーカスしていました。
私たちも様々な状況の中で束縛があり、不自由と感じることがあるかもしれません。しかし、その状況から逃れることが重要な事ではなく、その状況から主を証しする者として召されているかも知れません。むしろそのような方が多いはずであると信じます。すべてのクリスチャンは、証しをする者として召されています。聖霊を受けるとき私たちは、どんな所へでも主の証人となる、とあるからです。
そして、証しは、クリスチャンに勝利をもたらす武器です。黙示録には、キリストの血と証しの言葉のゆえに打ち勝った、とあります。また、この使徒の働きの明日読む箇所では、アグリッパ王に「あなたはわずかな言葉で(詳訳聖書では、簡単に)私をキリスト者にしようとしている」とまで言わせました。この時のパウロのした事は証しでした!証しには、力があります!証しはそこに御国をもたらします。
時が来てその状況から解放されるなら、それを選び取るのは良いことです。しかし、わたしたちの優先とすべきものの順序が狂う時、私たちの内には大きな葛藤が生まれ、苦しみます。それは、偽りであって、真理ではないからです。真理は人を自由にするのです。
私たちは、使命を帯びています。この地上にまだ生かされているなら、それは間違いのないことです。他のものに縛られているのではなく、キリストに捕らえられている者と信じましょう!キリストの愛に捕らえられているのです。そしてこの愛から引き離すことは誰もできません。
この方との愛に生きるという優先順位を取り戻す時、私達はキリストの囚人であると同時に、心に解放を得て、自由人とされていくのです。
■A:考えてみよう
今の状況の束縛に目をとめるのは、この世の囚人のすることです。むしろキリストに捕らえられている者として歩みましょう!今置かれている場所を祝福し、キリストを証ししていきましょう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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